ペットボトル原爆を知らない人の為に張っておきます。
これは大学入試にも使われたました。
昔はこんなに水を飲んだだろうか、と思うときがある。 ペットボトル の水のおかげである。あれを持ち歩く習慣がつ
いてしまった。水事情が良くない海外を旅行したときからの習慣かもしれない。水が手元にないとつい不安になる。
手元にあると無意識のように口をつけてしまう。本格的な渇きを感じる前に飲んでしまう。水の存在が疑似的な渇きを
招いているのではないか、と反省するときもある。欲求があって何かを欲しがるのではなく、何かが目の前にあるから欲
求が生まれる。
水ではなくお茶の人もいるだろうし、あるいはスナック菓子の人もいるだろう。そうした飲食物だったらまだいい。し
かし、もっと別の物で同じ心理が生じるとすると……と考えて不安を覚えることがある。たとえば武器である。
昔の武士は試し切りというのをしたらしい。いい刀を手に入れると使ってみたくなる。わら人形相手ではつまらない。
そういって実際に人間を相手に試し切りをしたという。そこまでさかのぼらなくても、最近の戦争でも似たようなことが
あったという話はよく聞く。殺傷の欲望を、手にした武器が促す。
究極の武器といえば核兵器に行き着く。インドとパキスタンとの緊張がまた高まっている。核保有国の両者が自制でき
るかどうか。 ペットボトル の水をにらみながら核戦争の恐怖におびえる。あまりに極端な連想かもしれないが、人間の
欲望と自制との関係という点では、同じだ。
ものと欲求との関係が転倒しやすい時代だ。気をつけないと、みるみる深みにはまる。