>>429 前編集局長、小出宣昭による「編集局デスク」より抜粋
> 三十余年前、中国との国交正常化をなしとげた努力を思い起こしたい。
>その結果、北朝鮮よりはるかに強大な中国の核は、ほとんど脅威ではなくなったのだから。
> ソ連が崩壊してから、世界は「社会主義」を粗大ゴミのように捨ててしまった感があるが、
>それに代わる適切な仕組みはまだ見いだされていない。
> 大衆市場のバッグ屋さんにずらりと並ぶブランド物のそっくり品も、安くて似ていりゃうれしくなる
> 日々の報道への批判は自由であり、私たちも歓迎する。
>ただ、報道とはどれだけ意見が多様でも「事実は神聖である」という一点で成り立つ。
> 日本は怒りすぎたのではないか。北を憎みすぎたのではないか。
> 在日韓国人の経済界の人たちと会食があり、飲めど尽きず、語れど尽きぬ盛り上がりとなった。
>TVドラマ「冬のソナタ」をめぐっての日韓おっさん論議である。
> まず、主人公たちのセリフがいい。シェークスピア劇を思わせるほどだ。
>終戦の時と国交正常化の時と、二度にわたって歴史の怨みをこらえた中国側の「こころ」を、私たちは忘れるべきではない。
> 国際政治が利害をもって動くことは事実だ。だが、日中や日韓には、もう一つ別の要素がある。
>その「こころ」への重視は、たとえ天動説と言われても、私は変えない。
> 私は三十数年も新聞記者をしているが、ふしぎなことに専門がない。
>政治も経済も、社会も文化も、ほとんどの事象に関心を持ちながら、それらすべてに素人である。
> 記者とは、永遠に素人であることが専門なのかもしれない。
>戦争を取材しても軍人ではないし、宮内庁を担当しても皇族ではなく、首相官邸を回っても政治家ではない。
>こうした専門領域に、素人の目線でタマを投げることが任務であるからだろう。
今の加藤編集局長はこの小出前編集局長の後任であることをお忘れなく。