>>13-14 コピペが出回っているのでご存知の方も多いと思いますが、慶応年間に摂津の被差別民が
幕府に提出した上書に次のような記述があるそうです。
「その上書の趣意は、此度(このたび)御用金仰付(おおせつ)けられて冥加至極(みょうがしごく)
に存ずる、これについては、私共身分の儀は、元来(がんらい)往古神功皇后(じんぐうこうごう)
三韓征伐の時に、御供(おとも)仰付けられ、彼地(かのち)へ越したが、彼地の風習は一体に
獣肉を食物に致すにより、おのづからこれを食ふやうになり、帰朝の上も獣肉を食ふによつて、
神国清浄の地に於(おい)て穢(けが)れた肉を食う(ママ)ては朝勤(ちょうきん)もならぬといふ
ことで、浄人非浄人と分けられ、以後私共に一切不浄掛(ふじょうがかり)御用を勤めるやうにと
仰(おおせ)渡され、つひに人間(じんかん)(編集部注・世間)の交(まじわり)もできぬやうに
なつたことは悲嘆残念の次第である。(略)」(辻善之助『日本文化史』第7巻 春秋社 1950年
1895頁(渡辺昇一・谷沢永一『こんな「歴史」に誰がした 日本史教科書を総点検する』文春文庫
2000年 271頁))
問題は、これが被差別民すべての起源であるとか、史実なのかどうかではなく、このような
伝承が確かに存在していたことでしょう。「彼地(=三韓=朝鮮半島)」に渡り、その地の風習に
染まって帰国し、それを改めなかった者たちの子孫(もちろん成りすましや混血も含むのでしょう)
という自己認識があったのだとすれば、同和が在日と連むのもよく分かります。また、
「浄人非浄人と分けられ、以後私共に一切不浄掛御用を勤めるやうにと仰渡され」という箇所
から、差別を強いたのは天皇と考え、左翼や在日などの反日勢力と結んで天皇とそれを中心と
するすべてを憎悪し、否定するのもよく分かりますね。
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