>>980つづき
12/24「私の視点ウィークエンド」(下)
◆靖国問題 亡き胡耀邦の憂い、顧みる 中江要介(元駐中国大使)
中曽根氏が靖国参拝した85年の12月、このような食事の席で、胡氏は率直に語った。
「靖国問題は両国民の頭の中に登場してから40年しかたっていない。消え去るにはさらに時間が必要だ。
八ヵ国干渉(義和団事件のこと)も85年たった最近、やっと人々の関心から薄れていっている」
「今度再び参拝が行われたら大変なことになる。靖国神社には戦犯が2千人もまつられており、
とても中国人を納得させることはできない」
「A級戦犯のみをとり除いただけでも世界の見方は大きく変わるだろう」「自分が恐れていることは、
この問題に乗じて日中離間を策する第三国がいることだ。だから早く問題を解決する必要がある」
こうした言動に対して、首相が5回も執拗に参拝を繰り返す日本側で散見される議論はどうだろう。
「心ならずも戦場に駆り出された人たちの死を弔って何が悪い、不戦を誓って何が悪い」
「東京裁判は認められない。A級戦犯はすでに処刑されて、今や、仏さま≠セ」
「心の問題、精神の自由の問題だ」「話せば分かる」
しかし、A級戦犯は戦場に「駆り出した」方で、「駆り出された人たち」ではない。心の問題というなら、
黙って心の中にしまっておけばよい。あの戦争の被害者、犠牲者からみれば、すべて言い逃れとしか
受け取られず、戦争責任を故意に回避しているとの批判をまぬがれ得まい。
胡耀邦氏は地下で嘆いていることだろう。「だから私は言ったではないか。『歴史に正しく対処すべし』と」