2005年1月30日 朝日新聞 opinion news project
戦争の「償い」なお課題 アジア女性基金 07年3月解散
理事長の村山元首相に聞く
元従軍慰安婦の「償い金」の支給などに取り組んできた財団法人「女性のためのアジア平和
国民基金」(アジア女性基金)が、07年3月末に解散することが決まった。アジア女性基金は
何を果たし、何を果たせなかったのか。基金発足当時の首相で、00年からは理事長を務める
村山富市元首相に聞いた。 (大野博)
誠意示したことに意義
−なぜ、この時期に基金の解散を決めたのですか。
「国民からの拠金を募ってやってきた事業なので、創立10年の節目に、国民に対して
これまでの経緯と今後について報告したうえで、一区切りつける必要があると考えた。
(最後の)インドネシアでの事業も07年までに終了する」
−基金がやろうとしたことは、この10年で達成できたのですか。
「元慰安婦が高齢になり、亡くなる人もいるなかで、存命のうちに何らかの償いと、
できれば名誉回復もしたいということで、意見対立を調整した末、基金を作った。
女性の尊厳が傷つけられた重い問題だし、プライバシーもあって、事業を進めるうえでは
様々な困難や苦労があった」
「あくまでも国の補償を求めて基金の活動を理解してもらえなかった人がいたことは
残念だが、元慰安婦の方々に誠意を持って償いの気持ちを伝えられたことには意義が
あったと思う。これが最善の方法だったかはわからない。でも、あの時点ではこれしか
方法がなかった」
−基金の事業はそれなりに意義があったということですか。
「以前なら、関係のない国の人が従軍慰安婦問題について聞いたら、『日本はそんな
ひどいことをしたのか。それなのに何の償いもしていないのか』と思うのが普通だった
だろう。国連でも人権問題として取り上げられており、そういう状態は放置できない、
という設立当初の目的はある程度果たせたのではないか。尊厳を傷つけられた人たちの
名誉回復はなかなかできないことだが、心の中で『これだけのことをしてもらった』と
思ってもらえれば、こちらとしても救いになる」
「拠金してくれた中には、『こんな事実があったとは知らなかった』という人もいた。
戦争の記憶が薄れるなか、国民に広く事実を知ってもらう意味でも一つの役割を果たした」
−償い金を受け取った人と受け取らなかった人の間の対立が残るなど、事業は失敗
だったとの声や、「ちゃんと償いはした」という自己満足に過ぎない、という批判もあります。
「それぞれの国では政府やNGO(非政府組織)が元慰安婦の認定作業に取り組んでくれたし、
国連でも、これも一つの方法だと一定の評価をしてくれた。決して自己満足ではない。
批判はあるにしても、失敗だと決め付けるのは納得できない」
−韓国では政府の協力が得られず、元慰安婦を支援するNGOが反対運動を展開しました。
「私が首相のとき、当時の金泳三大統領に『これは国内問題であり、済んでいる話。
自分の国でちゃんとやりますから』といわれたが、『それだけでは済まないから償いを
させてほしい』とお願いした。衆院議員を辞めた後に、後任の金大中大統領とも
直接話をした」
「償い金をもらった人が今でも肩身が狭い思いをしているのは気の毒だ。残された2年の
うちに、何とか韓国政府の理解を得るべく、努力を続けていきたい」
>>275 RDD方式はちょっと前からある方法なんだよね。他の新聞社やNHKも使っている。
問題は朝日RDD方式と朝日だけのスパイスが利かせてあるらしいこと。
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傷跡を治す努力続けよ
−未解決の戦後処理問題はいろいろあるのに、なぜ慰安婦問題だけを突出させるのか、
という批判もありました。
「ドイツでは政府と企業の拠出で基金を作り、強制労働などの償いを幅広くやっている。
私が首相のとき、朝鮮・中国の強制労働問題で、基金方式による償いができないか、いろいろ
検討した。だが、強制労働の場合、償いの主体はあくまで企業であるとう意見もあって
話がまとまらなかった。残念だった」
−村山内閣が積極的に取り組んだ戦後処理問題への熱意が、最近の内閣では薄れている
ように感じられます。
「私の内閣がやった戦後処理自体は否定されていない。侵略行為・植民地支配への反省を
表明した戦後50年の首相談話は、小泉首相の日朝平壌宣言でも踏襲されている。ただ、
『新しい歴史教科書をつくる会』が活動したり、自民党が教育基本法を改正して愛国心を
明記するよう主張したりするなど、右寄りの動きが強くなっていることには危機を感じる」
「確かに法的解釈のうえでは、戦後賠償は決着済みだろう。しかし、これからの日本と
アジアの関係を考えるとき、戦争の傷跡が残っているのに知らぬ顔をして通り過ぎることは
できない。すでに着手している中国に¥遺棄された化学兵器の処理のほか、まだやらなければ
いけないことはある。傷を治していく努力をなお続けるとともに、アジアの歴史の共同研究
など、地道な活動を続けていくことも大切だ」
従軍慰安婦問題とアジア女性基金
91年 韓国人元慰安婦が政府に謝罪と賠償を求めて東京地裁に提訴。政府が従軍慰安婦に
ついて調査を開始
93年 河野洋平官房長官(当時)が「おわびと反省」の談話
95年 アジア女性基金が発足。初代理事長に原文兵衛元参院議長
96年 フィリピンで「償い金」の支給開始(〜01年)
97年 韓国、台湾で償い金の支給開始。インドネシアで高齢者社会福祉推進事業開始
(〜07年の予定)
98年 韓国で事業が中断。オランダで事業開始
00年 村山富市元首相が第2代理事長に就任
02年 韓国、台湾での償い金支給が終了
05年 07年に解散することを決める
キーワード アジア女性基金
政府は93年、従軍慰安婦問題についての調査結果を発表し、河野洋平官房長官(当時)の
談話で、旧日本軍の関与を認めた上で、元慰安婦に対する「おわびと反省」を表明した。
94年に発足した村山政権のもとで、当時の与党3党が、戦後50年問題の一環として、
「おわびと反省」のための具体的方策の検討を始めた。
政府による補償を主張する社会党と、「戦後賠償はサンフランシスコ条約で決着済み」と
する自民党の意見が対立したが、結局、95年に@元慰安婦に対して「国民的償い」を
するため、国民から募金をつのるA元慰安婦への医療福祉事業に政府資金を支出する
B国として反省とおわびの気持ちを表明する−などの事業を実施する組織として、アジア
女性基金が設置された。
国民からの募金は最終的に5億6500万円が集まり、フィリピン、韓国、台湾で計285人の
元慰安婦に、1人あたり200万円の「償い金」を支給し、おわびなどを伝える首相の手紙を
送った。国ごとの人数は公表されていない。「償い金」を受け取った人は、各国政府などに
認定された元慰安婦の半数に満たないとされる。三つの国・地域に加え、オランダ、インドネシア
に対して、医療福祉事業への支援が、国庫からの支出で実施された。
主な対象国だった韓国では、元慰安婦を支援するNGOが「あくまで日本政府が補償すべきだ」
と主張して、反対運動を展開した。韓国政府が追認する形で、基金からの「償い金」を
受け取らないと誓約した元慰安婦に限って生活支援金を支給。基金の活動をめぐって元慰安婦
の中で対立したり、「償い金」を受け取った人が迫害されたりする事態も生じた。