299 :
文責・名無しさん:
朝日新聞 1994年2月24日、25日朝刊 「断筆宣言その後」より
本田 表現の自由は、権力の介入や操作に対してであって、弱者を傷つけるものを
傷つけるものであってはならないと思う。傷つけられた人々の声にマスコミ
が耳を傾けてきた結果があなたの言う自主規制であり、言い換えというもの
になった。話し合って自分の表現を変えていくということがあってもいいの
では。
筒井 えーっ。それがいけないんじゃないですか。言葉だけで傷つくというのが‥
これは差別的表現を使っているけれど、われわれを傷つける意図で使ってい
るのではない、と判断できるのが知性でしょう。文学のほうでは、ほんとう
に差別的な人間が相手を差別する意図をもって差別的なことを書く自由があ
るかどうか。 僕はあると思う。
本田 「断筆宣言」の中で「炭鉱のカナリアとしての作家」「小説が、タブーなき
言葉の聖域となることを」と書いている。作家は特権階級ですか。前衛です
か。
筒井 作家はみんなそう思ってるんじゃないですか。 また、そう思ってなきゃね
本田 言論人として弱者や被差別者を守る責任は?
筒井 作家は言論人ではありません。作家にはそういう社会的責任はない。社会人
としてはありますよ。作家はそんなもんもっとったらたいへんです。芸術家
であることは無責任にもつながるわけですよ。
300 :
文責・名無しさん:05/01/19 23:50:13 ID:3W23A8t/
>>296 小さなコラムだよ。
週刊文春は最近この手のことでは新潮の後塵を拝しがち。
諸君!では特集するであろう。
302 :
文責・名無しさん:05/01/19 23:56:22 ID:UPb88HeS
SAPIOは間違いなく総攻撃だろうな
303 :
文責・名無しさん:05/01/19 23:58:17 ID:SMJkqoUq
本田氏との対談を終えた後、筒井氏は週刊文春の記者にこう答えている
どんな職業にも特権はあります。作家は言語に対して特権を持っているし、
魚屋は魚に対して特権を持っています。新聞の社会部記者だって、誰にでも
会えて質問できるという特権を持っている。いちばん特権意識の強いのは
朝日の社会部記者じゃないかなあ。別にそれは悪いことじゃないけど。
女子中学生に淫行さえしなければね(笑)。でもやっぱり、言葉を扱うん
だから、本当は記者だって、言語に対しても特権意識を持ってほしいんだけど。
もちろん特権には対象に関して責任も伴いますから、言語を守る責任も持って
もらわないと。