やっちゃった!今日の朝日のドキュン記事 その55

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1月19日朝日新聞朝刊13面オピニオン
AAN世界の窓fromアジアネットワーク

日中両国が色眼鏡外して   小倉和夫

 日中関係が一つの大きな曲がり角にさしかかりつつある今
日、我々は、日中関係を、さめた冷静な目で見、いやしくも、
特定の色のついた色眼鏡で見ないことが重要である。
 冷静な見方は、まずもって、歴史的観点を踏まえたものでな
ければならない。
 歴史的に見て、日中両国が直視しなければならない冷厳な事
実は、中国が日本の近代化にとって「反面教師」であったとい
う事実である。阿片戦争前後からの中国の半植民地化、内部分
裂、旧態依然たる中華秩序への執着――そうした中国の姿は、
「そうなってはならぬ」見本を日本に提供した。そこから日本
の対中国侮蔑感と中国への欲求不満が生まれた。
 他方、中国にとって、日本は「洋夷」であり、やがて中国を
踏み台にして世界の列強の仲間入りを果たした「鬼子」であ
り、その結果「日本」は、中国の民族的ナショナリズムを結集
するためのマイナスシンボルとなった。そこに中国の「反
日」の原点がある。
239文責・名無しさん:05/01/20 00:27:53 ID:g6zQzCys
朝日包囲網発令www
http://www.zasshi.com/INDEX_SOKUHOU/data/5.html

◆週刊新潮 P32
朝日極左記者とNHK偏向プロデューサーが仕組んだ魔女狩り大虚報

◆週刊文春 P53
新聞不信/透けて見える「朝日」の意図
 こうした歴史的過程は、巨視的に見ると日中両国は、西欧型
近代化という色眼鏡を通して相手を見てきたことを意味する。
 現在においても、先進工業国たる日本、開発途上国の中国と
いう観点が、日中関係の基礎をつくっているが、このことは、
西欧近代文明というサングラスを依然かけたまま日中両国がお
互いを見ていることを意味している。
 けれども、今や日本と中国が相手を「西洋近代文明」という
眼鏡で見る時代は去りつつある。なぜならば、日中両国の経
済発展によって、両国は、地球環境と資源、人口動態、文化的
刺激などの面で世界的衝撃を与えつつあり、同時に両国は、世
界的規模での政治的、経済的責任を負わねばならない状況に立
ち至っているからである。
 西洋という眼鏡を捨て世界という眼鏡をかけてお互いを見れ
ば、日中両国は真のパートナーとして協働しなければならぬ時
代に突入している。それだからこそ中国への政府開発援助は見
直されねばならず、新しい理念(例えば人間の安全保障)の下
での協力という形へ転換されなければならないのだ。
241文責・名無しさん:05/01/20 00:29:57 ID:RL7FiD3h
>>235
>朝日の終わりの始まりだね。
そんな感じですな。
かつて大朝日と称された新聞社が没落していく様子を
しばし眺めるとしましょう。
 日中関係を世界的次元で考え直すためにも、実は、両国はも
う一つの色眼鏡を外さなければならない。それは、「中国文化
圏」という色眼鏡である。
 同文同種、漢字文化圏といった言葉によって、多くの人々は
日本と中国が「中国文化圏」に入っているという前提で、両国
関係を考える。しかし、ローマ文明の継承者が現代のイタリア
人とは限らないように、「中国文化」の伝統は中国人の独占物
ではない。羅針盤をもっとも有効に用いたのは「西洋人」であ
り、絹の文化を最も発展させたのは日本人であった。いいかえ
れば、日本と中国は今や文化的同質性より、その異質性にこそ
目を向けねばならないのだ。
 最後に、日中両国が外さねばならぬ第三の色眼鏡がある。そ
れは「戦争にまつわる国民感情」というサングラスである。
243文責・名無しさん:05/01/20 00:30:55 ID:rdlLOpxP
今回の事件は二つの可能性が考えられる。

1 本田が本当のことを言っていて、安倍中川松尾が嘘をついている。
2 本田が捏造しており、安倍中川松尾が本当のことを言っている。


当然のことながら、真実は2だよな。
 今や日中両国は、国民感情よりも客観的な歴史上の事実を直
視しなければならぬ。何人も否定できぬ歴史的事実は、日中戦
争において中国は戦勝国であ、日本は敗戦国であるという
冷厳な事実である。負けた以上、日本は敗者として常に謙虚
でなければならぬ。それが国際政治の掟であり、また、敗者
の誇りである。なぜなら、敗者が自省することは、中国が軍事
的威圧を日本にかけるような大国主義に陥らないようにするた
目にこそ必要だからである。
 他方、中国は自分が日中戦争の勝者であるという冷厳な事実
を直視せねばならない。勝者は敗者に対して寛容でなければな
らぬ。中国が日本軍国主義の再来を本当に恐れるなら、中国
は「過去」を問題として「儀式化された復讐」(東京裁判における
パール判事の判決文の表現)を行うべきではない。