松井やよりさん追悼スレッド

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悼:平和・反核を訴え続けた牧師、平山照次さん=3月14日死去・96歳

◇「祈るだけでは…」と行動−−平山照次(ひらやま・しょうじ)さん
 しわがれた大声で「祈るだけでいいのですか。行動しましょう」。自ら創立した東京山手教会(東京・渋谷)を拠点に、世界平和と核兵器廃絶を訴えた。
 本が好きな多感な青年だった。世をはかなみ、青函連絡船から夜の海に飛び込もうとして船員に
止められた。哲学では救われず宗教の世界に飛び込み、聖書を手にした。以前、友人から勧められ
「日本には日本の神様がいる」とはねつけたが、今度は読みふけった。賀川豊彦の講演に感動、21歳で洗礼を受けた。すぐに大八車にお古の衣料を積み、貧しい人たちに配った。
 
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同志社大を卒業後、霊南坂教会の伝道師として全国を回って福音を説いた。1945年3月、
38歳の平山さんは召集され中国に渡った。「中国の人を殺したくない」と、ほとんど食事をとらず体を衰弱させた。上官からは何度も殴られた。
 敗戦で復員。信徒とともにタイピスト学校を借りて教会を創立。牧師館を手始めに血のにじむ思いで1000人会堂まで拡張した。
 一方で宗教者の枠を超えて安保条約反対、核兵器廃絶、ベトナム戦争反対、祝日法改正(紀元節復活)反対の活動で東奔西走した。83年には教会として反核宣言を採択、宣言文を教会前に掲示。
毎月、大きな十字架を抱えてアメリカ大使館前で核実験に抗議した。
 79年にマニラでの世界宗教者平和会議で、スラムのシスターから子供たちの窮状を聞くと、
全国に呼びかけ衣類を送るなどした。活動を引き継ぐ「アライカパ友の会」の加藤信子代表(67)は「温かで情熱的な人柄。祈ってもらうとパワーがでる」と話す。
 しかし、教会の一部では反発が大きくなった。「キリストの教会であって、運動の教会ではない」。信者は減り、95年には牧師を引退。反核宣言のプレートも外された。
 それでも祈り、体が続く限り行動した。長男基生さん(65)は「父は『いまイエスが生きていたら、どうしただろうか』と自問して行動、信念の人だった」という。地上に愛と平和を求めた平山さんの思いが一日も早く実現することを願いたい。【滝川徹】
毎日新聞 2004年4月24日 東京朝刊
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なんだ、デムパすぎて教会もクビになってたのかw