>>1 ニシビか。
■ 小泉首相と靖国参拝 熟慮の構図 思い入れの「原点」は鹿児島
小泉純一郎首相が涙を流した知覧特攻平和会館は、薩摩半島の丘に建っている。
56年前、この丘の旧陸軍・知覧飛行場から、1036人の若い特攻兵が飛び立った。
知覧から西に15km。現在は加世田市に含まれる旧万世町にも飛行場があった。
陸軍に掛け合って万世飛行場を誘致を進めたのは、同町を生まれ故郷とする首相の父、小泉純也元防衛庁長官である。
旧姓を鮫島という純也氏は、首相の祖父である小泉又次郎元逓信相の入り婿となり、終戦まで鹿児島県を選挙区にしてきた。
万世飛行場の建設は、純也氏と親しかった万世町長、吉峯喜八郎氏による、「町おこし」策だった。
飛行場は44年に完成した。しかし、戦況の悪化で、沖縄戦の特攻基地となり、201人が出撃したまま帰らなかった。
喜八郎氏の長男幸一氏は、「生前、父は『すまんかった。死ぬまで責任を取る』と飛行場建設を悔やんでいた」と語る。 純
也氏にも似たような感慨があったのだろう。松野頼三元自民党総務会長は、
純也氏が、「多くの青年が無謀な戦争のために死んでしまった」と語ったのを覚えている。
靖国に対する首相のこだわりを解くカギは、この辺りにある。
首相の父方のいとこも25歳の時に特攻隊で戦死し、54年に靖国神社に合祀された。
小泉氏が、特攻兵を描いた自主製作映画、「人間の翼」(96年公開)の製作費を寄付し、
上映会で岡本明久監督に握手を求めたというエピソードもある。
98年には映画完成3周年の集いにも出席し、あいさつした。
初当選以来、首相はほぼ毎年、靖国神社に参拝してきたという。
昨年までは「個人の思い」ですんできた。
…後略…
平成13年8月9日 毎日新聞