【国賊】産経新聞はソ連のスパイだった!8

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13文責・名無しさん
その二日後

レフチェンコ発言と本紙中国報道
1993.05.12 東京朝刊 3頁 総合3面 (全1586字) 
 雑誌「文芸春秋」六月号に元ソ連国家保安委員会(KGB)少佐
スタニスラフ・レフチェンコ氏のインタビューが掲載された。その
中でレフチェンコ氏は、元産経新聞編集局長・山根卓二氏を通じて
「反中国」の産経を取り込むことに成功した−との趣旨を述べてい
る。まったく虚偽である。本紙への工作について、レフチェンコ氏
は「(笑い)」を交えながら楽しげに語っているが、笑い話にして
も悪質である。「文芸春秋」誌の読者が、本紙に関する彼の発言を
多少なりとも信じては気の毒なことになる。
 レフチェンコ氏は主な成功例として本紙北京特派員問題を挙げた。
 「山根氏は私が操作したエージェントで、『産経』の所有者、鹿
内信隆氏のアドバイザーとして、中国に特派員を送らないようにし
たのです」
 レフチェンコ氏は一九七五年二月から七九年十月まで「ノーボエ・
ブレーミヤ(新時代)」誌特派員として東京に滞在した。本紙が当
時北京に特派員を派遣していなかったのは事実である。だが、本紙
北京支局が閉鎖されたのは、レフチェンコ氏が東京に着任する八年
前の一九六七年、故柴田穂特派員がプロレタリア文化大革命のさな
かに追放された時であり、
                 (中略) (編集局次長 住田良能)