『産経抄』ファンクラブ第30集

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525文責・名無しさん
平成16(2004)年10月26日[火]

 新潟県中越地震で目をひくのは上越新幹線で起きた“奇跡”だろう。時速二〇〇
キロで走っていた十両編成「とき325号」は脱線したが転覆はまぬがれた。「窓から
火花が見え、死ぬかと思った」と乗客は語っていたが、一人のけが人も出さなかった。

 ▼伝えられる解説や報道を総合すると、「とき325号」の車両は旧式で、いまの
スピードアップされた軽量のものにくらべると五割も重い。しかしその古く重い車両が
幸いし、地震の激しい揺れにも跳ねなかったそうだ。対向列車が来ていないことも
幸運だったという。

 ▼営業中の新幹線の脱線は開業四十年の歴史で初の事故で、世界的に関心を呼び、
ライバルのフランスや建設工事中の台湾が大きく報じた。しかしこれだけの大地震に
遭遇しながら依然死者ゼロ。逆説的にいえば“安全神話”は守られたのだ。

 ▼幸運はまだあった。豪雪地帯ならではの設備として線路に「雪おとし」の穴があった。
車輪はその雪おとしにはまりこんだ。運転士は「激しい震動で運転席から落ちないように
イスにしがみついた」と語っている。脱線はしたが横転はしなかったのである。

 ▼新幹線惨事は雪おとしの穴によって救われたといえるかもしれない。越後塩沢の
商人・鈴木牧之(ぼくし)は天保十二(一八四一)年、名高い『北越雪譜』を世に出した。
それは降り積む越後の雪のなかで暮らす人びとの哀歓(といっても難儀の方が多いが)
随筆集である。

 ▼「我(わが)越後のごとく年毎に幾丈の雪を視(み)ば何の楽(たのし)き事かあらん」。
名だたる日本の豪雪地帯の人びとに雪は苦難の厄介者だった。今度ばかりは雪害
防止設備のおかげで助かったといえそうだが、奇跡や幸運はそうそう続くまい。
被災地・中越に間もなく初雪がくるだろう。