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とりあえず全文:
編集長デスク
読者の方々は、北朝鮮に拉致された地村保志さんら五人が二十四年ぶりに帰国
した翌日の新聞報道を覚えておられるだろうか。
平成十四年十月十六日付、中日新聞一面トップには『空白24年やっと会えた』
『帰国の拉致5人 滞在十日前後』という大見出しが躍っている。前文の記事には
「日本滞在は、本人たちの希望もあり十日前後となる見通し」と書かれている。
五人の感動の帰国に、日本中が喜びにわいた。新潟で、佐渡で、福井県・小浜で
歓迎の渦が広がるにつれ、いつしか「日本滞在は十日前後」という重要な事実が
忘れ去れ、無視されていった。
「あんな凶暴な国に返したら二度と戻れない」「十日前後に戻すなど平壌宣言
には書かれておらず、田中外務審議官の密約だ」など政治家や世論のかなりの部分
から北朝鮮への強硬論がふっとう。日朝間はかえって不信と憎悪の氷河期を迎え
てしまった。
あれから一年七カ月。私たちは何を得たのだろう。北朝鮮への怒りと憎悪をつ
のらせるほど、両国の氷河はますます冷え切り、五人の心をズタズタにして
いった。
曽我ひとみさんは「家族の元へ一刻も早く、飛んで帰りたい」中山恭子内閣参与
にもらし、蓮池薫さんも「北朝鮮に家族を迎えに行きたい」ともらして自民党首脳
に「公の場では言ってはいけませんよ」とクギを刺された。
五人の人々も、一年七カ月前の本誌報道にあるように「本人たちの希望もあり」
十日前後で家族にいる平壌にいったん帰るつもりだったと考える方が、人間の
心情からいって自然である。
それを言えなくしてしまった「何か」が、今の日本にはある。拉致という国家
犯罪に怒り、憎むことは当然の国民感情だ。しかし、それも度が過ぎるとかえ
って第三者の共感を生まないのは、北朝鮮を巡る六カ国協議でなかなかこの問題
が取り上げられなかったことでも分かる。
日本は怒りすぎたのではないか。北を憎みすぎたのではないか。そう自問し
つつ、きょうの小泉首相と金正日総書記の会談を見守りたい。