中日新聞・東京新聞こそ電波!! その14

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305文責・名無しさん
ネット万華鏡 “人のあいだ”新時代 第6回
今 一生

一九八九年に起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件を映画化したという
ふれこみの新作映画「コンクリート」(中村拓監督)の上映に対し、ネット内で
反対運動が起こり、予定していた銀座の映画館が上映を取りやめる結果になった。
 この反対運動は「2ちゃんねる」という巨大BBSでホットな話題になっていたが、
上映反対の運動に加担したのは、名前も顔も明らかにしない「匿名の人々」で、
書き込まれた内容は事実かどうか客観的には判別できないものも少なくなかった。
 そんな折、僕の友人が関わる八丁堀(東京都中央区)の映画館に「コンクリート」の
製作者側から上映打診があり、映画館から上映許可について下見と意見を乞われた僕は、
試写に足を運んだ。僕の目で見た「コンクリート」は、被害者の尊厳も加害者の尊厳も
無視した暴力映画だった。暴力で他人を支配しようとした少年たちがなぜそのような
気持ちに掻き立てられていったかについては語られず、被害者の人間性もまったく
描かれていなかった。「コンクリート」は、タイトル通り、モノとモノとのぶつかりあい
としての暴力表現一辺倒で、名前や命や愛や自尊心が被害者の側にも存在しないような
描き方だった。
 すねたような男の声のヒップホップが流れるオープニングから空虚な魂が伝わって
きて、後味の悪さを感じていたが、これと同質のものを僕は「2ちゃんねる」の書き込み
に感じていた。端的に言えば、相手を思いやる魂が腐っているような印象を受けたのだ。
306文責・名無しさん:04/05/16 21:10 ID:ub35/x/N
 上映反対運動の機運を作った呼びかけ人には、「コンクリート」を試写会あるいは
制作段階で観た可能性がある。それならば、映画の内容をふまえてBBSで嫌悪を
露わにするのもわかる。だが、彼ら以外の不特定多数の人間は既に先に書き込まれた
内容を鵜呑みにして事態のアウトラインを把握し、上映反対の騒ぎを面白がって
事態を煽る書き込みを続けていた。彼らだってオフライン(日常生活)では、自分が
観てない映画のことを化尾も知らない誰かから教えられても、「ふぅん」という冷めた
関心しか示さないだろう。ところが、ネットで祭りのように熱く語られているニュース
を発見すると、「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら…」とばかりにヒマに任せて
煽り記事を書き込む輩も少なくないのだ。
 しかしネットでの上映反対運動が映画館の方針を変えたという物語は、そういう
ヒマな人たちの妄想にすぎない、と僕は思う。いくら上映料を制作者側からもらっても、
良識的な一般の観客に歓迎される映画でなければ、映画館はイメージダウンのリスクを
負う。それを負う監督と心中するような覚悟をして多くの人に見せたい傑作とは
僕には思えない。今回のネット騒動は上映を断る口実を作りたい誰かの狂言の可能性も
あるが、真相は藪の中。残ったのは、自分の目で確かめず、噂だけで非難を始める
人の多さに対する恐怖だ。
(こん・いっしょう=フリーライター。メールアドレスはcon@createmedia.co.jp)