「自己責任」という名の人権侵害Part2 

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★ イ ラ ク 「 自 己 責 任 論 」 噴 出 は 自 由 主 義 へ の 警 告

イラク人質事件で「自己責任論」が波紋を呼んでいる。自らの自由意思で危険な場所へ足を踏み入れたという行動責任を問うものである。
ところが、人質の3人に対する批判が高まるにつれ、一部のメディアでは逆に自己責任論に対する反論が強くなった。

しかし、よく考えてほしい。今回の事件に限らず、いかなる場合においても自己責任が伴うのは当然のことではないだろうか。
それを一切の責任もないと断言するメディアの姿勢には疑問を呈せざるを得ない。

確かに、帰国した3人の疲れた様子を見れば、同情論が出るのは致し方ない。
しかしそれを利用して自由行動や自衛隊撤退の論調にすり替えようとするのは、メディアの世論誘導に他ならない。

そもそも、これだけ多くの自己責任論が噴出するのは、何も今回の事件に限らず、例えば女性権力主義に見られるような、特定の者の一方的な
自由行動を無制限に保障することを目的とした圧力に対する国民の鬱憤が3人に対したまたまぶつけられた結果と見るべきではないだろうか。

女性が夜道を一人歩きすれば痴漢に遭うかもしれない。ミニスカートを穿いていれば盗撮されるかも知れない。しかし女性権力者たちは女性の
行動規範などの自己責任を一切認めず、全て男性に責任を押し付け、厳罰化など様々な女性優遇策に終始し、税金を費やしている。

ある者の自由を認めれば、別の者の自由が奪われる。互いに不公平感のないような社会基盤を整えるのが公共の福祉であり、民主主義の根幹であるはずだ。
しかし現実には、権力者たちの自由や権利主張だけがまかり通り、権力者と対極にある者たちの自由や権利は不当に制限されているのが実情だ。
これでは一部の納税者から不満が出るのも無理もない。

このように、今回の自己責任論問題は決して3人だけの問題ではなく、
女性権力主義に代表される自由主義という名の他者支配を標榜する圧力に対する警鐘と捉えるべきではないだろうか。