■《天声人語》 四月二十日付け
自己責任。この言葉が、イラクの日本人人質事件で何度も出てきた。多くは武装グループに拘束された
人たちの行動や判断を批判したり、救出費用を問題視したりする時に聞く。しかし今回の使われ方には、
なぜか、聞きづらさが感じられる。
数冊の辞書に当たったが「自己責任」は載っていなかった。新しい言葉だからかとも思い、さかのぼっ
てみると、そうでもない。戦後間もない47年の国会議事録に、自由主義の特性として「自己責任におい
てイニシアチーヴをとつていく」とある。近頃では、投資や経営など経済の世界でよく聞いたが、人命に
かかわる事件で個々の被害者に対して使われるのはまれだろう。
辞書の「責任」にはこうある。「自分が引き受けて行わなければならない任務。義務」「自分のしたこ
との結果について責めを負うこと」。責任という言葉そのものの中に「自分の」という意味合いがあるよ
うに見える。
今回の「自己責任」には「自分でしたことの結果に『自分だけで』責めを負う」というような強調が感
じられる。責任に、もう一つ自己を重ねたところが重苦しい。
自衛隊派遣という、国論を分けた国策のかかわる外国が事件の現場となった。この言葉が、事件の背景
や、イラクの現状をもたらしたものへの視点を失わせる「目隠し」になってはいないだろうか。
5人にも、それぞれの「責任」はあった。しかし、銃を突きつけられ、命を脅かされたことが「結果に
責めを負うこと」だったのではないか。それぞれが落ち着いて語れる時を待ちたい。