日本人3人拘束事件「道民版」

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511文責・名無しさん:04/05/10 05:52 ID:ICwAsiW1
道新は一番良心的なメディアなのかね
子供には今の日本のメディアの状況なんて知らないだろう・・というより
中学生のほとんどは裏の世界なんて考えないよ
この授業は先生が洗脳しているもんだよな
512文責・名無しさん:04/05/10 06:14 ID:c6Pc/e61
また北教組の馬鹿教師が悪さしているんですか?
内容をお知らせください
513文責・名無しさん:04/05/10 16:02 ID:9p6I7Hzj
北海道のローカル番組は、パチンコのスポンサーが多すぎだもんね。
パチンコパチスロ、サラ金(キャッシング)、焼肉屋…。

昔はこんなにパチンコパチスロやサラ金のCMが多くはなかったと思う。
それだけ日本企業が広告を出さなくて
隙間に悪徳企業やチョソ企業が入ってきてるんだねぇ。
STVなんて読売系なのにナー。(´Д`)
514文責・名無しさん:04/05/10 18:14 ID:VQbAfxpC
私も知りたい。
(道珍取るの止めたので…)

困った地方髪北海道新聞ってサイトのBBSでも
話題になってたんだけど
読んでないのでわからーん。(゚∀゚)

道珍の無い生活はとても心穏やかです。
道珍ヲチができないのは
さみしくなんかないぞっ!!
515道新の記事ですー1:04/05/11 06:41 ID:q2JSdpq3
イラク人質事件から学ぶ − 報道の影響 生徒自ら検証

 『メディア教育」に関心を持つ教師の多くが、4月にイラクで起きた日本人3人の人質事件を、
授業で取り上げた。テレビ映像が世論に及ぼす影響、新聞各紙の論調の違い、
そして自己責任の問題。教師たちはこの事件を授業の中でどう教え、児童、生徒はどう受け止めたのか。
現場の取り組みを紹介する。

■札幌もみじ台中

 「今日は、イラクでの人質事件を題材に、情報が私たちの考え方をどう変えるかを学びます」。
日本人3人の人質解放から約2週間後の4月28日。札幌市立もみじ台中3年3組の「公民」の授業で、
喜田喜美枝教論はそう言って、1枚のシートを配った。
 シートのタイトルには「世論はどのようにつくられるか?」とあった。
生徒には「3人の行動をどう思うか」「自衛隊撤退の要求に対する政府の反応をどう思うか」
などの質問について、いくつかのテレビ報道を見ながら、
自分の考えがどう変わっていくかを自ら検証した。
 犯行現場に近いファルージャの住民が昨年のイラク戦争開戦以降、
度重なる悲劇に見舞われてきた経過を詳しく紹介する番組を見た後、
半数近い生徒の解答が変化した。
 解答を変えた生徒数人に喜田教諭が尋ねると、自衛隊派遣に肯定的な考えが
「撤退も1つの考え」とする意見に変わったとの声が目立った。
米軍とイラクの武装グループの間で繰り返される暴力の連鎖の中で「自衛隊派遣が、
はたしてイラクの人に受け入れられるのか」という気持ちに傾いた、と何人かの生徒が説明した。
516道新の記事ですー2:04/05/11 06:42 ID:q2JSdpq3
 また、生徒は人質の高遠菜穂子さん(千歳市)が解放後、
「(これからもボランティアを)続けます」と述べた発言と、
小泉純一郎首相が「なお、そういう事を言うですかね」と批判した映像を視聴。
さらにテレビ番組で、実はこの高藤さんの発言が、解放に尽力したとされる
イラク・イスラム聖職者協会のクバイシ師から
「イラクの子どもたちのために、これからも(活動を)続けて下さい」
と要請された直後の発言だったと知ると、教室に沈黙が広がった。
 生徒は続いて、3人の人質が穏やかな表情でいる映像と、人質の今井紀明さん(札幌市)が
のど元に刃物を突き付けられ、高藤さんが助けを求めて叫ぶシーンを見た。刃物の映像は、
日本国内では3人の拘束期間中、「残虐シーンである点などを考慮し、カットした」(民放放送テレビ局)ものだ。
 助言者として授業に参加した北海道新聞NIE(教育に新聞を)推進センターの阪井宏委員は
「3人の解放前に日本のテレビ各局がこの映像を流していたら、世論は大きく揺れたはず。
私たちは、映像が世論の流れを簡単につくってしまう世の中に生きている」と述べた。
 生徒は最後に、批判、中傷で政府批判を控えるようになった家族らの記者会見と、
ドイツの記者が「まるで自由のない国のよう」と感想を漏らす映像を見た。
 喜田教諭は「情報の受け手として私たちはどのような心構えをすればいいか、皆さんもぜひ考えて」
と問いかけ、授業を締めくくった。
 生徒は「ものすごく難しい」などと話しながらも、大人にも答えの見つけにくい問題を、真剣に考えていた。


以上本文でした。適時改行を入れましたが、段落はそのままです。
この他に記事として、三重県セントヨゼフ女子高で新聞を使ったこと、
自衛隊撤退要求・人質解放を受け手・自己責任についての読売・朝日・毎日・道新の社説を並べる、
西美唄小・士別商校・奈井江商校・札幌旭丘高が授業で事件を取り上げた事、
がありました。
517515:04/05/11 06:45 ID:q2JSdpq3
まぁ記事を読んだ限りでは、完全な洗脳授業ですな。
 ・まずこの生徒たちはそれまでの報道を知らんかったのかと?
 ・イラク人と思われるイスラムのテロはどうなのよ?
 ・テロの要求に従ったらまたテロを引き起こす常識を知らんのか?
 ・世論の流れが映像でつくられるのなら、映像のでる順番を変えたらどうなるのか?
 ・情報で影響を受けるなら、新聞やテレビ以外に入手する事は考えないのか?
 ・自衛隊派遣を論ずるなら、北朝鮮に対しての影響は考えないのか?
などなど……この教諭が北教祖かどうかは分からんが、道新が絡んでる時点で真っ赤っかですな。
518文責・名無しさん:04/05/12 05:29 ID:43VlQiyt
報道で世論が作られると言う授業はいいが
教師の都合が良い物で授業やられると、洗脳だよね
今井の記者会見の矛盾は何も言わないなんてな
会場を弁護士が取り囲んで、質問は受け付けず、何回も練習をしたなんて
一部のメディアしかいってない、道新なんて褒め称えただけだよね
平等に扱うのならこんな異常な道内のメディアについて
教えるべきだろう
もっと言ったら
韓国、中国の道新の養護のしかただよな
絶対に悪いことは書かない物な、虚報ばかり書いているし
韓国の貨物船が日本の船に衝突した記事なんて書いてないだろう
まったくこんな洗脳はやめてほしいよ
この中学校に抗議しませんか
道民のみんな立てよ!
519文責・名無しさん:04/05/12 05:32 ID:43VlQiyt
今日は昼の大和田バカの番組で
今井がでてくるのか
520文責・名無しさん:04/05/12 08:05 ID:wv8hh2ph
自分でメディアがどれだけ偏向してるか実証してるようなもんだよね。

あー結局航空運賃はどうなったんだ。ちゃんと払ったんか?
そして無駄になった帰りのチケットがあるというならなんでそれは払い戻ししなかったんだ?
気になる…
521文責・名無しさん :04/05/12 11:08 ID:NxDVStuN
昔なんかの雑誌の投稿欄で「マスコミは偽メシアになる」って投稿文があったけどその通りになってしまったな。
我々のほとんどがテレビや新聞に出ている事がすべてだという感じで信じ込んでしまう。
最後のトドメにどっかのキャスターみたく「これが国民の意見ですね」なんてコメントをするとほとんどイチコロだよな
522文責・名無しさん:04/05/13 14:26 ID:dqyffYMb
ほちゅ
523文責・名無しさん:04/05/14 06:17 ID:QuIkQz7q
あげ
524文責・名無しさん:04/05/14 06:26 ID:tK//iaY6
>>515
北海道新聞って、なんで、こんなキチガイなの?
525文責・名無しさん:04/05/14 09:20 ID:QuIkQz7q
札幌市立もみじ台中3年3組の「公民」の教師だろ
マスコミなんて
自分の意にそぐわない物は全て排除だろう
特に左翼マスコミはね
その辺の事教えたのかな?この教師
526文責・名無しさん:04/05/15 11:27 ID:WkZfByRV
ボッキアゲ
527文責・名無しさん:04/05/16 22:33 ID:80JW6UMF
お前ら財界さっぽろ読みましたか?
イラク特集やってるよ。
「プロ市民」の用語の登場や関係者相関図など左側人脈の関係性を重視した構成。
2ch住民には素直に読めるぞ(w

P.S.
月刊ダンが残っていれば財界さっぽろと正反対の論調が読めたかと思うと残念だ(w
528文責・名無しさん:04/05/16 23:02 ID:LhJrAGMC
新潮や文春の焼き直しみたいな気もしたが、読む価値はあったね。
あそこまで踏みこんだ記事は立派。ただ、自作自演に関してはもっと
踏みこんでほしかった。

週刊金正日に今井の記事が載ってたがなんだかなあって感じ。
私の知る限りでは週刊現代と週刊金曜日に今井の発言が載ってた。
現代は香山リカを使って北海道の「右傾化」を批判させるような雑誌。
突っ込んだ質問する記者がいない雑誌で政府批判ばっかし。
全てが明るみになるXデーが待ち遠しいな。
529文責・名無しさん:04/05/20 19:06 ID:ofYhkrRW
また、カンベ見ながらの会見
しかも映像無し
まだPTSDなんて言っているのには驚くし
解放後の映像見たら嘘ってバレバレ
そして驚いたのには、犯人をかばう
早くイラクの犯人捕まえてほしいな
530文責・名無しさん:04/05/20 19:27 ID:gDgQJD8M
なんでキチガイを祭り上げるの?
無視・抹殺が一番だと思うけど。
531文責・名無しさん:04/05/21 00:01 ID:2Z3w+AWU
こういう人間って無視されるのが一番堪えるんじゃないだろうか。
532文責・名無しさん:04/05/21 08:13 ID:JDDr07T+
政治家にとっての糖尿病が一般人にとてのPTSDなんだろうな。
 
>531
批判派が無視していたら、サヨクが英雄扱いするだろうから。
533文責・名無しさん:04/05/31 22:38 ID:qm8xpkpD
やはり財界さっぽろは遅かったか。
534文責・名無しさん:04/06/06 22:00 ID:IspkM0u6
高遠の復活が大々的に道内メディアは取り上げたな
財界さっぽろは見た
なかなか面白い記事だったね
高遠の偽善を暴いて欲しいな
535文責・名無しさん:04/06/06 23:51 ID:vVrGgh7H
イラク(ヨルダン?)での自己責任はともかく、
世間を騒がしたことに対する自己責任くらいはたせってね。
この場合はきちんとした記者会見に応じることを自己責任というのだが。
536文責・名無しさん:04/06/12 17:45 ID:YdXcKX9X
自己責任ってより、説明責任だわな。
537文責・名無しさん:04/07/23 21:24 ID:ilgdtNKX
北海道新聞に高遠の手記が連載されていると聞くが、
どんな内容なの?
538文責・名無しさん:04/07/25 09:24 ID:bZAzGsV+
>>537
気分悪くなりそうなんで、読んでないけど…
うpした方が良いかな?
539文責・名無しさん:04/07/31 02:15 ID:LjLLEx2i
しちゃえしちゃえ。
そのうち財界さっぽろウプするからさ。
540文責・名無しさん:04/08/14 03:15 ID:eJnFK7qs
北海道には朝日より 酷いウルトラ馬鹿新聞
北海道新聞!ってのがあるんだぞー!
こんなクソ新聞読んでいたら 民度が低いと言われるぞー!!!
541文責・名無しさん:04/08/14 04:28 ID:ytOLJvRN
高遠が出てきた以上、今井も黙ってられないだろうな。高遠は女性誌にまで出て活動してやがる。今井の絵本出版も近いのか。
542538:04/08/14 15:29 ID:bvA62HYA
遅くなったけど、7/21〜7/28の高遠のインタビューあげます。
これね…おこしてるとダメージ大きくて…具合悪くなるわ......
時制はバラバラだし…理屈が繋がってないし…
覚悟して読んでおくれ。
5437/21(1/2):04/08/14 15:30 ID:bvA62HYA
●1・拘束 −−牙むく「反日」・死を覚悟−−

 4月7日午前11時ごろ、千歳市のボランティア高藤菜穂子さん(34)は、
イラク中部ファルージャ付近の迂回路沿いにあるガソリンスタンドで、
銃で武装した男たちにタクシーを止められた。前夜、ヨルダンの首都アンマンをたち、
7日午後にはバグダッドに到着する予定だった。札幌市のフリーライター今井紀明さん(19)、
東京在住のジャーナリスト郡山総一郎さん(32)が同行していた。
これが9日間にわたる人質事件の幕開けだった。


 スパイ容疑をかけられたのです。タクシーが止まると、数十人の群衆に囲まれました。
私はその人たちが発する。何とも言いようのないものすごい力を身体に感じて、
座席で身動き一つできなくなっていました。
 イラク戦争の終了後も戦火にさらされ続けた住民の怒り、憎しみ、悲しみ。
それが私に向かって襲いかかってきた、と考えていました。
 「ヤーバーニ、ムーゼン(日本人は良くない)」。みんな敵意がむき出しです。
人垣の向こうからロケット砲を持った男も走ってきます。「もうだめだ」。その瞬間に死を覚悟しました。
 タクシーを少し移動させられると郡山君、今井君が順番に降ろされ、ボディーチェックされました。
民衆が再び、じわじわとタクシーの周りに集まり始めます。武器を持っておらず。普通の住民のようでした。
 「私はアメリカ人じゃない。スパイじゃない」。知っているアラビア語をつなぎ必死に訴えました。
だれも聞こうとしてくれませんでした。
5447/21(2/2):04/08/14 15:31 ID:bvA62HYA
>>543 続き

 悲しいのはイラクの人たちが「反日」に変わったことです。
以前は「どこの国の人より日本人が大好き」と言ってくれていたのです。
 私たちはガソリンスタンドで近寄ってきた男の子に国籍を聞かれ、
「日本人」と答えた直後に拘束されました。日本人と確認の上で捕らえられたことがショックです。

 反日感情の「芽」があることには気付いていました。今年1月、交流のため
バグダッドの小学校を訪問した時、女性教師に「あんたは人道援助をかたった
日本軍(自衛隊)のスパイだ」と小1時間も罵声を浴びせられました。
十日ほど前に夫を、イラク戦争終了直前には弟を殺されたと聞きました。
でも、それからわずか3ヶ月で、これほどまでになっているとは予想もしませんでした。
 「おまえがスパイでないと証明出来る人間はいるか」。
別の車に乗り換えて倉庫のような一室に連れていかれると、英語を話す人が聞いてきました。
 「ファルージャの総合病院に行ってよ」と言いました。医薬品を届けるために病院には何度も通い、
知り合いもいたからです。でも、米軍が道を封鎖していて行けないと言います。
私は嫌疑を晴らすため、ファルージャについて知っていることは全部話そうと考えていました。
  (聞き手・黒田 理)
    ※
 イラクで北海道の2人を含む日本人3人が人質となり、国中を震撼させた衝撃の事件から3ヶ月余り。
解放後、外部との接触を避けていた高藤さんが重い口を開き始めた。
子どもたちと路上から眺めたバグダッド。血にまみれたファルージャの病院。
自由を奪われ生と死を見つめ続けた日々。事件を振り返り、語ることは、
戦火のイラクで起きたこと1つひとつを問い直す営みともなった。
5457/22(1/2):04/08/14 15:32 ID:bvA62HYA
●2・ファルージャ −−医薬品を届けに病院へ・横暴な米兵が恐かった−−

 高遠菜穂子さんは、昨年4月から延べ半年のイラク滞在中、中部ファルージャに通った。
フセイン元大統領派の拠点の1つとされ、戦後も米軍の攻撃を浴び続けた。
その惨状を知る数少ない日本人の一人だ。人質事件当時は、米軍が反米勢力掃討を目的に
一般市民を巻き込む猛爆を加え、武装勢力は激しく抵抗していた。


 ファルージャに初めて行ったのはブッシュ米大統領が戦闘終結宣言した昨年5月1日でした。
 総合病院には血だらけのイラク国旗が張られていました。床に薬の空瓶が転がり、
ゴム手袋も酸素ボンベもない。1人しかいない医者が血まみれになって、けが人を手当てしていました。
 6月になると、戦闘状況が激しさを増しました。イラク人も武器を持ち出したのです。
私は現地に入れなくなった非政府組織(NGO)の代わりに、医薬品を届けたりしました。
 ファルージャ行きに不安がなかったわけではありません。でも、
英語通訳をしている友人のカスム(26)が「ナホコは日本人だし、昼間なら大丈夫」と言うので、
車にアラビア語で「薬」などと書いて通いました。
 欧米人は米軍などの占領軍と一緒だと見られて、襲撃される事件もありました。
日本人だから行けたのだと思います。
5467/22(2/2):04/08/14 15:32 ID:bvA62HYA
>>545 続き

 昨年7月、日本のNGOの人たちを案内してファルージャの病院に医薬品を届け、
バグダッドに戻る途中でした。私たちの車を米軍の車両が追い抜いたかと思うと、
車両の上から米兵がこちらに銃口を向けました。
 車を止めると、銃を水平に構えた米兵がやってきます。
「車から降りろ」と物凄いけんまくで怒鳴りつけられ、車を調べられました。
 そんなこともあり、私はイラク人ではなく米兵を恐れていました。
 ファルージャや隣町のラマディでは、米軍の家宅捜索が午前3時頃に始まり、
米兵はドアをけ破って入ってくると、子どもや女性も戸外に出したそうです。
よく耳にしたのは金品強奪や女性へのセクハラです。
 ある住民は怒りでぶるぶると身を震わせながら言いました。
「米兵は妻の夫以外が触ってはならぬところを触った」
 後でアブグレイブ刑務所における米兵のイラク人虐待が明るみになった時には
「やっと表に出たか」と思いました。

 ファルージャには有名なケバブ(羊肉のくし焼き)店がありました。拘束初日、
尋問の最中にこの店を思い出しました。「大きくておいしくてさ。大好きだよ」と言ったら、
みんなぷっと笑いました。ああ、これで和んだかなと思いました。
 緊張が少し緩み始めた時でした。突然、覆面をした3,4人の男がどどーっと、
すごい勢いで部屋に入ってきました。
5477/23(1/2):04/08/14 15:33 ID:bvA62HYA
●3・そこにある死 −−自爆を覚悟で戦う犯人・命ごいをする私は…複雑−−

 高藤菜穂子さんたちは拘束初日、犯人側に脅されたところをビデオに撮られ、
中東のテレビ局がその映像を「自衛隊撤退」要求とともに全世界に流した。
日本では犯人側と示し合わせた「自作自演」だと中傷された。
だが、高藤さんが味わったのは紛れもなく「死の恐怖」だったという。


 部屋に入ってきた男たちは脚の付いた大きな銃を持ち、たすきがけにした銃弾を
じゃらじゃら言わせていました。すごくいら立って、殺気だっている。すぐに目隠しをされました。
 右隣に座らされた今井(紀明)君がけられる音、「いてっ」っと叫ぶ声が聞こえてきます。
「ノー・コイズミ」「ノー・コイズミ」。犯人たちがそう言え、と今井君に怒声を浴びせます。
「早く言っちゃえ。言っちゃえば終わる」と心の中で祈りました。
でも、今井君は恐ろしくて声が出なかったようです。
 「ああ殺される」。頭にあったのはそれだけです。なぜビデオが回っているのか、
考える余裕などありませんでした。
5487/23(2/2):04/08/14 15:34 ID:bvA62HYA
>>547 続き

 帰国後も、テレビであの場面が映ると恐ろしくなります。でも逃げられない。
私はあのビデオと一生付き合っていく、と覚悟を決めなければなりませんでした。
それによって、イラクの人たちの気持ちが初めて理解できたように思います。
 以前、バグダッド滞在中に爆弾テロで人が死んだ現場で、ケバブ(羊肉のくし焼き)を
食べている人を見ました。死に鈍感になっていると違和感を感じました。
 でも、今は考え方が変わりました。ずっと心から離れない恐怖があっても、
人は飲み食いせずにはいられない。笑わずにはいられない。今の私の状態と同じです。

 拘束中、手りゅう弾を服のポケットにたくさん入れていた男が「今日死ぬ。アメリキ(米国人)も殺す」
と私に分かる簡単なアラビア語で話しました。私と同じくらいの年で、
奥さんが2人、小さな子どもも2人いると言います。
 家族や知り合いが米軍の攻撃の犠牲になったと訴える人たちもいました。
彼らは死を覚悟して戦うまでに追いつめられていたのです。
 私は首にかけていたアイヌのお守りイケマを外し、男の首にかけてあげました。
「サディーク(友達)」と言い添えて。正直なところ、彼に死なないでほしいという思いと、
命ごいする気持ちが半々くらいありました。
 私はイラクにいる時は、どういう死に方をするか分からないと覚悟しているつもりでした。
だからイラクではいつも脈が速くなるんです。でも、これから戦場に行って死ぬ、
ファルージャを守るために命を懸けるという、この人の覚悟の強さは想像がつかなかった。
 自爆覚悟の人に命ごいをする自分。複雑な気持ちでした。
5497/24(1/2):04/08/14 15:34 ID:bvA62HYA
●4・土漠 −−地平線まで何もない所・高価な料理 まるで疎開−−

 イラク中部ファルージャで拘束された高藤菜穂子さんたちは3日目の4月9日、
車で土漠へと移動させられた。乾いて白茶けた地面が延々と砂漠のように広がる独特の風景。
方角はもちろん距離の感覚すらまひしてしまう。その土漠に囲まれた小さな集落で、
粗末な納屋のような建物に監禁され、8日目まで過ごすことになる。


 「目隠しを取っていい」。移動中の車内で犯人グループの1人が言いました。
そこは土漠の真ん中で、かなたの地平線まで目の前には何もない。道もありません。
 1日目のビデオ撮影後、英語を話す人が「明日かあさって解放する」と言ったことがあります。
私は「本当に?」と何度も念を押しました。それなのに、
どうしてこんなところに連れて来られたのだろう。とても不安になり、泣けてきました。
 納屋のような建物は広さが十畳余りで、ござが敷いてありました。
泥で塗り固めた壁にヤモリがはっています。暗くて暑い。光が漏れてくるのは、
固く閉じられたドアの下の十センチほどのすき間からだけです。
 でも、それまで拘束されていた部屋は真っ暗だったし、ひどく汚れていたので、ましでした。
 拘束初日と2日目は、手りゅう弾や銃を持った人たちが入れ代わり立ち代わりやってきました。
それぞれが違うグループのようで、自分たちの活動について
同じ説明を何度も繰り返さなければなりませんでした。
5507/24(2/2):04/08/14 15:35 ID:bvA62HYA
>>549 続き

 ここでは、老人と背の高い青年の2人がカラシニコフ銃を持って外で見張っているだけです。
青年はクフィーヤ(顔を覆った布)からのぞく目がすごく優しかった。
 「それだけで救われるね。この人たちは事件のことは何も知らないんだよ」。
安堵感がこみあげ、郡山(総一郎)君、今井(紀明)君とそう話し合いました。
 実にのどかで、外から聞こえてくるのは牛とニワトリの鳴き声、小鳥のさえずり、
そして老人たちのお祈りの声だけ。食事のたびにイラクの庶民には高価な鳥肉料理が出され、
1度だけですが、洗髪と洗濯を許してくれたこともありました。
 「おれたち疎開させられているんじゃないか」。郡山君が言いだしました。
 ここに移動する前は、すぐ近くで大きな爆発音が何度も聞こえ、
拘束場所の窓ガラスが震えたこともあります。
「鼓膜が破れるから、耳を手でふさぎ口を開けたほうがいい」。
自衛隊経験を持つ郡山君がそう教えてくれたものです。

 「スパイ容疑」は晴れた。でも米軍のファルージャ攻撃が激しくなり、
解放するにも自由に移動が出来ない。それで、しばらく安全な場所に避難させたのではないか。
 日本に戻って当時のファルージャ情勢を知り、私もそう思いました。
5517/25(1/2):04/08/14 15:35 ID:bvA62HYA
●5・不安 −−解放の約束 何度もほご・日本の家族がテレビに−−

 高藤菜穂子さんたちは土漠の中の納屋のような建物で高価な食事を与えられ、
「客人」並みの扱いを受けた。解放、生還への希望が膨らんだ。
しかし、犯人側に解放の「約束」を何度もほごにされ、3人の心の中で再び不安が高まった。


 「ファルージャ、ハラス(終わり)」。拘束から6日過ぎたころ、
1人の男が建物に入ってきて言いました。「ファルージャの戦闘が終わったので解放する」
という意味だと受け止めました。
 ところが、その後も帰してくれる気配がありません。「またか」と思いました。
 拘束3日目にも別の男が大きく手を3回振って、太陽が昇って沈むような動作をしました。
「3日待てということかな」と私たちは糠喜びしましたが、3日過ぎても何の連絡もなかったのです。

 見捨てられたんじゃないか。忘れ去られたんじゃないか。私は不安とショックで、声が出なくなりました。
 私たちは毎日、拘束時に奪われた荷物を返してくれと要求しました。
犯人たちは「荷物はある」と言うばかりで返してくれません。
 8日目、ようやく荷物を渡すといわれて、車で納屋を出ました。クフィーヤ(顔を覆う布)をかぶせられ、
犯人グループと同じムジャヒディン(外国勢力に抵抗する聖戦士)の格好をさせられていました。
 移動中の車から外を眺めていると、3人の少女が仲良く連れだって家から出てきたところです。
私たちの格好が目に入ると、びくっと体を震わせ後ずさりを始めました。
 周囲の大人からはムジャヒディンは少女たちのために戦っていると聞かされていたことでしょう。
でも、自分たちの味方だろうが、多国軍だろうが、子どもは武器を持っている人が怖いのです。
5527/25(2/2):04/08/14 15:36 ID:bvA62HYA
>>551 続き

 この時、強く思いました。「武器を持っての人道支援はありえない」と。
1人でも、一瞬でも、相手をおびえさせて人道支援は成り立ちません。
 私たちは倉庫のような部屋に連れて行かれました。
そこへ家の主人とおぼしき人がテレビを運んできました。びっくりしました。
私たちの家族が泣いているニュース映像が映し出されたのです。
 私たちのことが大事件になっているのを、この時初めて知りました。
 私は泣き出しました。そして叫ぶように言いました。
 「ファルージャに注目を集めたいのだろうけど、家族が泣いているじゃないか。
日本人はイラク人というのはみんなテロリストなんだと思ってしまうじゃないか」
 同行してきた英語を話す男が、返す言葉がないという表情で黙って聞いていました。
5537/26(1/2):04/08/14 15:36 ID:bvA62HYA
●6・解放 −−「あれがサダム・タワー」・見なれた建物が見えた−−

 高藤菜穂子さん、今井紀明さん、郡山総一郎さんの3人は、拘束9日目の4月15日、
バグダッドのモスクで解放された。その直前まで、荷物の返還などをめぐり
犯人グループと対話を重ねていた。


 8日目、テレビを見せられた部屋で夕食をとっていると、男がどこからか
私たち3人のスーツケースやかばんを運んできました。でも、私のパソコンとデジカメがありません。
3人合わせて5千ドルの現金と、郡山君の3台のカメラも。
 「あんたたちムジャヒディン(聖戦士)とか言っているけど、アリババ(盗賊)だ」。
私たちは怒りをぶつけました。
 男はけんまくに押されて部屋を出て、どこかに荷物を探しに行ったようでした。
しかし、郡山君のカメラは結局、1台しか戻ってきません。
 その夜、犯人グループの男2人が、部屋のテレビでジャッキー・チェンの映画を見て大声で笑っています。
私はそれが腹立たしくて、9日目の朝、「あんたたちは最低だ。さっさと荷物を探してきて」
と怒鳴りつけてしまいました。
 英語を話す男が「無い物のリストを作れ。現金はかき集めて返す」と言ってきました。
彼らにとって5千ドルは大金です。でも、私は言い返しました。
「お金はイラクのために持ってきたんだ。かき集めているひまがあったら薬でも買いなさい」
 「武器を買ったら承知しない」。そう念押しする私を、
彼らは「サラーム(平和)、サラーム」と必死になだめました。
5547/26(2/2):04/08/14 15:37 ID:bvA62HYA
>>553 続き

 拘束中、英語を話す男とじっくり対話ができたのは良かった、と考えています。
武器を持って戦っても、同朋がどんどん死んでいく。彼らもそれは悲しいことだと言っていました。
 ある時、私は「武器を持たないで平和を探す方法はないの」と問い掛けました。
「探したいけど、どうしていいか分からない」。そう彼は答えました。
そして「あなたとの対話は無駄ではなかった。『サディーク(友達)』になりたい」と。
 再会の可能性などないのに、そう言ってくれて本当にうれしかった。

 この日の昼近く、「解放する」と言われ、行き先を告げられないまま部屋を出て車で約30分走りました。
モスクで目隠しを取られた時は信じられませんでした。イラクで女性はモスクに入ることが許されないから。
 日本大使館に向かう車から背の高いサダム・タワーが見えた時、
初めてバグダッドで解放されたんだと実感しました。
 「今井君、あれがサダム・タワー。向かいにムハバラート(情報機関)があって、
劣化ウラン弾が落とされたんだよ」。私は興奮してしまい、
今井君に「落ち着いてよ」とたしなめられました。
 見慣れた建物、交差点が次々と目に飛び込んできました。
5557/27(1/2):04/08/14 15:38 ID:bvA62HYA
●7・子どもたち −−心の中の空虚感、喪失感・怒りと悲しみで埋める−−

 9日間の拘束の後、高藤菜穂子さんは当初の目的地・バグダッドにたどり着いた。
路上生活する子どもたちを体当たりで世話してきたまちだ。
解放の喜びは、再会を心待ちにしていた子どもたちへの思いを急速に高めていった。


 子どもたちと出会ったのは昨年6月ごろです。十代半ばの彼らはシンナーで意識をもうろうとさせながら、
つまらない理由でけんかし、ナイフやガラスの破片で切り付けあっていました。
 15,6人で十階建てビルの半地下に住みつき、近くの有名ホテルと同じ
「シェラトン」という名で呼んでいました。薄暗く、ごみだめのような場所でした。
私は子どもたちに冬服や寝具を届け、シンナーを吸わせないよう絵を描かせて気を紛らわせたりしました。
 今年1月、子どもたちは大家に追い出されてしまいます。
ビルの軒先で眠り、破裂した水道管が洗面所兼キッチン。寒くて凍えていました。
 そこで、月175ドルで子どものためにアパートの部屋を借り、毎日ホテルから通いました。
部屋で服を洗濯させ、シャワーを浴びさせました。
夕方になると、子どもたちは「帰りたくないよ」とこぼしていました。

 買い物に連れていった子どもが野菜を手にし、店員に殴られたことがあります。
「マダム、こいつらは泥棒だぞ」と。
 子どもたちはイラク戦争で親を失ったり、孤児院から逃げ出したりしていました。
路上で自由を謳歌できると思ったのに、社会の風当たりは強かった。
 どうして私がイラクの子の面倒を見るのか、よく聞かれます。
 彼らにはインドの子どもほどの物質的貧しさはありません。心に空虚感、喪失感があって、
それを怒りと悲しみで埋めている。日本の子どもにどこか似ている気がするのです。
私も若いころ、いつも不満だらけで怒っていた記憶があります。
5567/27(2/2):04/08/14 15:38 ID:bvA62HYA
>>555 続き

 バグダッドの日本大使館で初めて、犯人が「自衛隊撤退」を要求し、
日本政府が拒否していたことを聞かされました。そして、私は耳を疑いました。
大使館の人が「いま自衛隊が撤退するのは体裁が良くないでしょう」と言ったのです。
 「体裁のために自衛隊を出しているんですか。イラクの人のことを考えていないんですか」。
私はむきになって問い返していました。
 私は自衛隊のマチ千歳で育ち、友人にも自衛官の妻がいる。
市民運動の人たちのように「自衛隊派兵反対」と主張する気はありません。
 だけど、イラク人には相手が本気なのか、ただ体裁でものを言っているのか、
すぐ見分けがつくと思います。弱い立場に置かれた人は子どもと同じでそういう感覚が鋭いものです。
 いくら「人道支援」といっても地元の人たちの理解は得られないでしょう。
5577/28(1/2):04/08/14 15:39 ID:bvA62HYA
●8・平和の道 −−怒りは怒りを呼ぶだけ・対話の重要さを再認識−−

 高藤菜穂子さんは解放翌日の4月16日、バグダッドからアラブ首長国連邦のドバイへ出て、
18日に関西空港に降り立った。国内では、イラク訪問は無謀だったという「自己責任」批判や、
家族をも対象にした中傷が噴出していた。心身ともに疲れ果てた高藤さんは千歳市の自宅にこもり、
事件の意味を反すうした。


 バグダッドに向かう前、郡山(総一郎)君が泊まっていたアンマンのクリフホテルに、
旅行者が旅先の情報を交換するノートがありました。
私はそこに「イラクに行くのは自己責任を持てる人に限ります」と書き残してきました。
 私にとっての「自己責任」は「死んでも文句を言わない覚悟がある」という意味です。
過去の経験から、今回のイラク訪問にも命の保証は無いと考えていました。
 バッシングには傷つきました。でも、戦後イラクの惨状を知らなければ、
私がイラクに行かなければならない、と考えた気持ちは分かってもらえないと思います。
なんでわざわざ危険な所に、と批判したい気にもなるでしょう。
5587/28(2/2):04/08/14 15:39 ID:bvA62HYA
>>557 続き

 私は今できれば北海道から沖縄まで回り、一人ひとりに謝りたい気持ちです。
私が巻き込まれた事件で、ある人はイラクに対し、ある人は米国に対し、
怒りの感情を増幅させることになってしまったと思うからです。
 そして、1人でも多くの日本人にイラクの話を聞いてほしい。イラクで起きていることを知ってほしい。
 怒りは怒りを呼ぶだけで、お互いを理解し合い平和を模索していくという、
問題解決の道にはつながらない。私はそう信じています。
 昨年来のイラク滞在中、友人でラマディ出身の通訳カスム(26)とイラクの現状、
将来についてよく話し合いました。彼も人質事件の犯人と同じく
「武器を持って米軍と戦うのは当たり前だ」という考えの持ち主でした。

 その彼が今年1月、「見てほしいんだ」と提案書を持ってきました。
非政府組織(NGO)や人権団体の活動拠点とするため、米軍に破壊されたラマディの建物を再建する。
資金は当の米軍に要請するとの内容でした。
 私が「武器を持たずに平和を探せないか」と繰り返したことを受け止め、友人たちと話し合ったそうです。
その結果、米軍に報復するより街を再建しようという考え方が生まれてきたのです。
 事件後、自宅で落ち込んでいた私は、彼に電子メールで
「この世から武器がなくなるのは簡単じゃないのかしら」と弱気を漏らしました。
「武器をなくすより、武器を取らない心を育てる方が簡単だよ」。返事を読んで涙が出ました。
 私は今、対話の重要さをかみしめています。人質事件の犯人の中にさえ私との会話が
「無駄じゃなかった」と言ってくれた人がいた。日本とイラクの普通の市民が話し合える場があれば、
お互いを分かり合い、怒りの感情も反日感情も鎮めることができると思うのです。
559文責・名無しさん:04/08/17 22:18 ID:Z2VBp/R/
うひゃあ、乙。
560なななし ◆XSSH/ryx32
> 私にとっての「自己責任」は「死んでも文句を言わない覚悟がある」という意味です。
> 過去の経験から、今回のイラク訪問にも命の保証は無いと考えていました。

彼女がそういう自己責任意識を持ってイラク入りしていたのだったら、弟妹は彼女を
全否定したことになるよね。「死んだら政府のせいだ」って言っていたんだから。


> 怒りは怒りを呼ぶだけで、お互いを理解し合い平和を模索していくという、
> 問題解決の道にはつながらない。私はそう信じています。

で、彼女は『カメラの前で怒りをぶつけ、協力すべき政府を敵呼ばわりした弟妹』を
「あれでは問題解決の道には繋がらない」と、ここで全否定しています。

ならば彼女が真っ先にやるべき行動は、自分の覚悟が弟妹にすら通じていなかった
ことを恥じ、私の命を助けるためとはいえ自分の弟妹が見苦しい振る舞いをした
ことを陳謝することじゃないのかなぁ…この文章じゃ反感を買うか冷笑されるだけでしょ。