中日新聞・東京新聞こそ電波!! その13

このエントリーをはてなブックマークに追加
784783
夕刊 文化欄 『私の国家観』【中】 筑紫哲也 VS なかにし礼

改憲論議の背景
筑紫氏”あしき革命思想とりつく”
なかにし氏”戦争が前提…納得できぬ”

筑紫:現在の日本を見ていると、第二次世界大戦前の時代と似ている。
    あの当時、非国民という言葉があった。何かお上に逆らうことをやると
    非国民と言われた。イラク情勢で一番心配しているのは、終わり方です。
    福田康夫官房長官の父親の赳夫氏が首相だった時、ダッカ事件(日本赤軍の
    日航機乗っ取り事件)が起きた。「人命は地球より重い」と言い、
    超法規的な措置で、テロリストと取引した。福田官房長官は「時代が違う」と
    言ったが、時代という言葉はくせ者なんです。東京裁判の記録を読むと、
    被告の多くが「自分は内心、あの戦争には反対だったが、時代の空気が
    いかんともしがたかった」という供述をしていた。
785783:04/04/22 22:07 ID:lIOwqQSb

――結果は多大な犠牲を国民に強いました。

筑紫:「この戦争はやばいのではないか」という判断は上層部にあった。
    しかし、東京大空襲や沖縄の地上戦であれだけの人が死んでも、
    広島・長崎へ原爆が投下されないとふんぎりがつかなかった。
    分かってはいてもふんぎりをつけさせるような悲劇が起きないと
    政府は最後に意思決定できないんですよ。

なか:「テロリストに屈しない」という小泉さんの言葉には、誰も反対できないでしょう。
    でも、小泉さんは答えをはぐらかしているんです。国が非戦闘地域だといって
    自衛隊を派遣したわけだから、人質になった3人がイラクに行くことは
    論理的には問題はない。国民には多様な考え方があって、国家と運営する側と
    常に同じ考え方をする人間ばかりではない。反対意見を言う人も大事な国民である
    ということです。

筑紫:私たちが戦前・戦中に持っていたものが、戦後がらりと変わったようで、
    変わっていないんですね。その一方で、むしろ失われたものもたくさんあったのでは
    ないでしょうか?
    日本人はこんなにかさついた民族でしたか?
786783:04/04/22 22:08 ID:lIOwqQSb

なか:司馬遼太郎さんが生きていれば今の日本のありようを見て嘆きますよ。
    かさついているだけでなくて、夢も失い、人間同士の信頼関係も失い、
    良心も理性もない。人間としてまじめな議論もできない。
    今後の日本は相当暗いですよ。

筑紫:司馬さんが亡くなったときに映画監督の宮崎駿さんが「今、亡くなってよかった。
    これからひどくなる日本を見なくてよかった」と言ったんですよ。
    今振り返ると宮崎さんは鋭かったなと思います。その時は、ここまで日本人が
    あられもない国民になるとは思いませんでしたから。

なか:昔は日本人独特の美意識がありましたよね。これだけ心がすさんでいるのは
    政治の責任もあるのではないか。また、日本人がイライラしている背景には
    朝鮮戦争、ベトナム戦争に便乗して繁栄したことへの呵責(かしゃく)の念が
    あると思いますね。

筑紫:私はこの国の文化が好きですし、いろいろすぐれた所がある民族だと自負していますが、
    長い歴史の中ではどの国や民族も必ず過ちがあり、それを正面から受けとめる
    勇気が必要です。自身のなさや後ろめたさが変なふうに顕在化するのでは
    と心配します。
787783:04/04/22 22:09 ID:lIOwqQSb

――近ごろ高まっている憲法改正の動きもそうした背景があるのでしょうか。

なか:いろんな意見がありますが、論議を持ち出すことがむなしくなるほど
    国会議員の大半が容易に改憲に向いており、怖さを感じます。
    そんな土壌をつくってきたマスメディアも問題だと思う。

筑紫:あるアンケートでは国会議員の8割が改憲に賛成。一方、国民は拮抗しています。
    国会議員は、現在の閉塞状況は憲法を変えれば一気に変わるという、
    あしき革命思想にとりつかれているのです。

なか:世界に類のない平和憲法で国際社会に日本という国を認めてもらったわけです。
    改憲を言う人の「時代に合わない」という動機も簡単すぎて怖い。
    理想的憲法の「理想」がうっとうしいという議論も非常に残念です。
    改憲論議に戦争が前提になっていることも納得できません。

筑紫:憲法はどういう国、世界をつくりたいかという憲法意思が最初にあって
    条文が出てきます。憲法は、国民と、自分たちを縛る権力である国家との
    契約です。国家性悪説に基づいているわけです。一般の法律は国民に対して
    命令するものですが、憲法は統治者がやるべきこと、やってはいけないことを
    定めている。憲法に「国民の義務規定がない」と言っている人はそもそも
    おかしいのです。先日、靖国神社参拝について違憲判決が出ましたが、
    小泉首相は「それに縛られないでやる」と言う。
    権力者を縛るための憲法について司法が判断を出したのに権力者である
    行政の長が従わない。少なくとも尊重すると言わなければ意味がないのです。

なか:守るべき人が守っていないということですね。
    これだけ憲法が愚弄(ぐろう)されている時代はないのでは。