やっちゃった!今日の朝日のドキュン記事 その35

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1441/25 オピニオン面 「風考計」(1/3)
 靖国参拝 特攻隊と「民族和解」の間
 
 若宮 啓文(論説主幹)

 2年前の1月27日、初めてイスラエルを訪れた私を驚かせたのは、この日に起きた
自爆テロ事件だった。
 現場はエルサレムの繁華街である。老人1人の命を奪い、150人以上を負傷させた
犯人は、パレスチナ難民キャンプで救急隊員をしていた28歳の女性だった。事件は
女性による初の自爆テロとして世界に大きく報じられた。
 凄惨な現場をのぞいた数日後、パレスチナ自治区を訪れると、彼女をたたえるポスターが
目に飛び込んだ=写真上。「神の道で命を落とした者は、死んだのではなく、神の下で
新たな生命を与えられる」とコーランの教えが書かれ、彼女は「英雄的な殉教者」とされていた。
 「テロリスト」か「殉教者」か。この違いには、憎しみ合う民族の溝が鮮やかに投影されている。
 暴力の応酬で親を亡くしたイスラエルとパレスチナの青少年が昨年夏、一緒に来日した。
面会した小泉首相は、かつて日本の神風特攻隊が米国の戦艦に突撃した話をした。
その日米がいま「世界で最も仲良し」だと言い、「絶望は愚か者の結論」「憎しみから和解へと
いう気持ちを」と励ました。
 民間人を無差別に襲う自爆テロを、特攻隊とは一緒にできまい。だが、どちらも自らの命を
犠牲にする異常な攻撃には違いない。「救国の恩人」「軍神」などとたたえられた特攻隊の
背後にも、国家神道という宗教があった。不愉快ではあれ、ジェット機でニューヨークの
世界貿易センタービルに突撃したテロリストは、米国で「カミカゼの再来」とも言われたものだ。
 3年前、鹿児島県の知覧特攻平和会館を訪れた小泉氏は、ずらり並ぶ特攻隊員の遺影の前で
立ちすくみ、涙をこぼした。国のために殉じた若者たちへの思い入れは人一倍である。
 その思いが靖国神社参拝へのこだわりにもつながっている。今年は早々と元旦に参拝をすませた。
戦争による犠牲者の追悼を通じて「日本の平和と繁栄を祈る」のだという。
 神社の境内に「遊就館」がある。明治以降の日本軍や戦争の歴史を展示した
ビジュアルな資料館だ。そこにも特攻隊員ら「靖国の神々」の遺影や遺書、遺品の数々が飾られている。
 出撃を前に「身は桜花のごとく散らんとも、悠久に護国の鬼と化さん」
「愛機ト共ニ敵艦ニ散ル 武人ノ本懐之ニ過グルハ無シト心ヨリ満足致シテ居リマス」などとつづられた
遺書の数々は見るものの胸を打つ。しかも彼らの合言葉が「靖国で会おう」だったとすれば、
参拝にこだわる小泉氏の気持ちも分からないではない。
 しかし、である。国家や民族のために身をなげうった若者の純粋な気持ちを思うだけなら、
自爆テロの若者にも同情すべき悲願がある。
 自爆テロで問われるべきは、背後でそれをたたえ、そそのかし、あるいは命ずる組織や
指導者だろう。同様に、将来ある若者を特攻隊に送り出してまで無謀な戦いを
強いた軍部や国家指導者の過ちをきちんと見すえなければ、真に特攻隊などの
戦死者を弔い、平和を祈ることにはなるまい。
 靖国神社はあの時代、国家神道の中心施設として戦意を高揚し、特攻隊員らを鼓舞する
役割を担わされた。一宗教法人となったいまも「大東亜戦争」に至った日本の道は正しかった、
避けられないものだったと説く人々の、精神的な支柱になっている。
 遊就館を見ればそれがよく分かる。誇らしげな零式戦闘機(ゼロ戦)の展示に始まり、
「終戦の詔書」など貴重な資料に恵まれているが、貫いているのは「日本の独立をしっかりと守り、
平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかった」
(神社発行のパンフレットから)という戦争観だ。
 軍国主義を問う視点も、自責の念もそこにはない。館内では「祖国日本の防衛のために玉砕」
した特攻隊などを描く記録映画が上映されているが、「日本参戦をしかけた米国の陰謀」も強調されている。
 戦争責任者を裁いた東京裁判については「一方的に“戦争犯罪人”というぬれぎぬを着せられ、
むざんにも生命をたたれた……」(同パンフレット)との立場だから、A級戦犯の合祀(78年)も
当然だったのだろう。
 天皇陛下の靖国参拝が75年を最後にされなくなったのは、そのことと無縁ではない。
小泉氏は普通の参拝者と同様、純粋に死者を弔い、平和を祈りたいのかも知れない。だが、
特に外国では以上のような「靖国」が軍国主義の象徴としてとして伝えられる。
だからこそ、首相の参拝があれほど問題にされるのだ。
 そういえば、特攻隊の話から「民族和解」への希望を説いたのも首相だった。ならば、アジアの
反発を招く靖国参拝にこだわるより、民族和解に通じる新たな追悼の道を探る方が、よほど
理にかなっていると思える。
 小泉氏が「最も仲良し」だという米国は、まず日本民主化の占領政策で信頼を得たのではなかったか。
国家神道を否定し、靖国神社を民間施設にしたのも、その一環だったのである。