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文責・名無しさん:
毎日新聞「余録」(2003年12月17日東京朝刊から)
「軍の唯一の目的は国防にあるがゆえに、国防の性質を完備せざる目的のため、帝国軍隊を
遠く国外に出征せしむることは、その組織の基本たる主義と相容(あいい)れざるところ」と
同盟国・英国の欧州派兵要請を拒んだのは第一次世界大戦当時の加藤高明外相である。
その後日本は護衛艦隊を派遣したが、平間洋一氏の研究によると陸兵は「国民の賛同が得ら
れない」と拒絶し続けた。なにも日本が平和主義だったわけではない。極東ではドイツの拠点
を攻略し、中国に21カ条要求をつきつけるなど、列国のスキをついてせっせと自国の権益拡
張に励んだ。
おかげで日本の若者は多数の兵士の血をむなしくのみ込んだ欧州の戦場で命を落とさずにす
んだ。だが同時に、火事場泥棒そこのけの日本の利己的振る舞いは同盟国の英国をはじめ欧米
に不信をうえつけた。歴史はその後日英同盟の解消、やがて日本の国際的孤立へと進む。
むろん第一次大戦への派兵と、復興支援を目的とする自衛隊のイラク派遣を比較しようとい
うのではない。ただ小泉純一郎首相の自衛隊派遣決断の背景には、同盟国・米国で「日本の利
己主義」への不満が表面化することへの強い懸念があったのは確かだ。
戦前日本の拡張主義と戦後日本の一国平和主義は、その国家的利己主義という点で同根では
ないか。そんな国際社会の批判の目を浴びた湾岸戦争のトラウマ(心の傷)が、その後の日本
の対外姿勢をひそかに拘束してきたように思える。自衛隊派遣の決断もそのトラウマと無縁で
なかろう。
では利己主義のかくれみのではない平和主義とは何か。それを日本は国際社会にはっきりと
示すことができるのか。歴史の試練に耐える平和主義の鍛え直しについて思いをめぐらす時だ。