>>376 今日の天声人語でも紹介された、ノーベル文学賞を受賞する南アフリカの作家
J・M・クッツエー氏の文化欄の記事。
(以下引用)
(前略)
クッツエーが執拗に考えつづけてきたことを、作中人物のひとりはこう表現する。
「ずっと昔に犯罪が犯されたの。……ずっと昔で、あたしはその中に生まれてきた。
それはあたしがうけついだ遺産の一部なのよ。」(『鉄の時代』邦訳なし)
(中略)
94年、黒人政権が発足して南アは大きく転換した。しかし、アパルトヘイト全廃で
すべて解決したわけではない。むしろ凶悪な犯罪は増え、長い抑圧の時代に澱のように
たまった怒りや屈辱が、かつての白人支配層にむけていっきょに爆発した。
クッツエーの最新作『恥辱』(『マイケル・K』につづき、00年度の英国ブッカー賞受賞)
はまさしくそうした状況をあつかう。
セクハラ事件をおこして大学教授を辞職し、田舎で農場をしている娘の家に
ころがりこむ父親という、メロドラマ調ではじまるこの小説は、じつは南アにおける
力の逆転が生む凄惨な事件に焦点をあてている。黒人たちに輪姦された娘は、
心身ともに傷ついた被害者だが、この事件を歴史の罪滅ぼしとして引き受ける。
つまり歴史の過誤は自分が犯した罪ではないが、それは、肉体の痛みもろとも
〈恥辱〉にまみれる凄惨な体験をとおしてしか償いえないという、作者の究極の
倫理性がにじみ出ている。
(引用終わり)