朝日の基地外投稿 第66面

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680文責・名無しさん
朝日新聞西部版 20日付オピニオン面「私の視点」
篠田博之(しのだ ひろゆき)
メディア批評誌「創」編集長
◆石原知事発言
容認する「空気」こそ異様

 田中均外務審議官の自宅に発火物と見られる不審物が仕掛けられた事件について「爆弾が仕掛け
られて当たり前だ」という石原慎太郎都知事の発言が物議をかもしている。

 本人の釈明にもかかわらず、問題の発言は、何度聞きなおしてもテロを容認したと言われて仕方
ないものだ。不審物を仕掛けた犯人は、この発言を聞いて小躍りしたに違いない。

 石原知事の失言騒動はこれまでもあったが、今回ギョッとしたのは、それに対するマスコミの、
あるいは社会の反応だった。反応というより「空気」と言った方がよいかもしれない。
 
 知事の発言に批判の声は多いけれど、一方でこの発言を容認する空気も確実にある。都庁には抗
議の声と同様に支持する声も寄せられたという。その空気を反映してか、過去の同様の失言騒動と
比べて、マスコミ報道も腰が引けていた。

 北朝鮮や拉致問題を語り出すと、声高でヒステリックな論調の方が喝采(かっさい)を浴びる。
そんな空気がこの1年間、日本社会で支配的になった。テロ容認発言の釈明として行われた石原知
事の演説に、拍手する聴衆もいたという。

 その一方で、国益に反すると思われる意見には「国賊」とか「非国民」というレッテルが貼られ
る。最近の田中審議官叩(たた)きのみならず、昨年もキム・ヘギョンさんや、曽我ひとみさんの
家族のインタビュー記事に猛烈なバッシングが吹き荒れた。この国は、異論や少数意見を認めない
社会になってしまったのだろうか。

(つづく)
681文責・名無しさん:03/09/20 09:38 ID:mLYKbsER
(つづき)

 私が編集する月刊『創(つくる)』は、マスメディアが総がかりで叩いている側の声をむしろ積極的に
取り上げている。オウム麻原彰晃元教祖の三女のインタビューや、宮崎勤被告の手記、それに「よど号」
グループの手記など何度も掲載してきた。

 時々「お前んとこは殺人者の肩を持つのか!」と、怒声の電話がかかってくることもあるが、別にそち
らが絶対的真実だといって載せているわけではない。叩かれている側から見ると多数意見がどう見えるか
知ることは大切だし、異論や少数意見を取り上げることもメディアの大事な役割だと思うからである。

 だから、昨年の『週刊金曜日』が掲載した曽我さんの家族のインタビューなど、私はおおいに意義ある
ことだと思った(載せ方があまりうまくないとは思ったが)。しかし、国益をそこなうような記事を載せ
ること自体が誤りだという、あの時の同誌へのバッシングには驚いた。非難は予想されたが、その風圧の
大きさにである。

 拉致という北朝鮮の国家犯罪は断固として糾弾しなければならないし、拉致被害者の境遇に涙するのは
当然の感情だろう。

 しかし、拉致問題をめぐっては異論は許されないという、この1年ほどの排外主義的な世の中の空気は
異様としか言いようがない。ナショナリズムと呼ぶべきかどうかわからないが、そんな空気が確実にでき
あがってしまった。

 これでもかとばかり扇情的な北朝鮮叩きを繰り返してきたマスコミ報道にも責任の一端はあろう。国家
の利害と一線を画するのがジャーナリズムの最低限のスタンスであるはずなのに、その距離がとれていな
い。国益を最優先する報道の行き着く先は、戦時中の翼賛報道だろう。

 この間の一部メディアの田中審議官への攻撃も異常だ。テロにあっても当然だといわんばかりである。
今回は幸い、発火物が作動しなかったが、仮に爆発していた場合でも、石原知事は「やられて当然だ」と
言うのだろうか。

(おわり)