139 :
文責・名無しさん:
>>138 ならばテロを否定する国是に反対する石原やおまいらみたいな厨房も
北朝鮮にでも移住するしかないだろうな。
法律の解釈は唯一絶対ではなく、多様な国民が存在し多様な意見を
有するのは当然という前提で成り立っている民主主義社会をそれこそ、
おまいら糞ウヨの論理従わないのは非国民という道理でテロ行為を繰り返す
のって、民主主義の否定以外の何ものでもない。てめえらの分別を棚に
上げて、他人を攻撃するっていうガキの論理そのものだな。生き恥晒して
愉しいか?
意見が多様であるからこそ、民主主義の考え方は、個人の分別に負うところが
大きい。社会のゆるやかさがあってこそ、おまいらみたいな屑や人的不良債権
でも存在できるってことを忘却できる、って羨ましい。
―「不安」とは。
景気の停滞で、未来像が描けない。「中流崩壊」とか「学力崩壊」とか、「崩壊」を冠した
議論が近年注目された背景には、日本社会が変容を迫られているのに、展望が見えないこと
への不安があると思います。以前の保守政権の路線は景気低迷で立ち行かないのに、冷戦終
結のあとは明確な社会変革の理念も語りにくくなっています。保守と革新という枠も不透明
になり、展望を語れない時代になった。
―それらの不安が、なぜナショナリズムと結びつくのでしょうか。
「つくる会」の幹部や会員をみると、共同体やモラルへの希求が、そこに流れこんで
いるようです。グローバリゼーションと冷戦終結によって、国内的にも国際的にも、
政治や経済、社会が流動的になった。これまでの経済構造のもとで成立していた会社
組織や地域社会、学校、家族、価値観なども変化せざるを得ません。そこで頼るべき
共同体や価値観がないという不安が生まれ、90年代後半には共同体やモラルの再建
を説く論調が強く出てきました。個人主義やエゴイズムが横行し、教育や青少年心理
にも悪影響を与えているから、共同体やモラルを復活させるんだ、と。
―ただ、今は共同体を飛び越して、「強い国家」を求めるという形になっています。
それはマスメディアの浸透が大きいでしょうね。東京からニュースが流れてくると、地方の人も国単位
でものを考えるようになります。地方政治よりは国政を語るようになるし、外交への一体化も強まる。
地域社会が頼れなくなれば、ますますそうなる。
もう一つは、「ほかの語り方を知らない」ということ。社会変革の理念が見当たらない時代ですから、
現状への不安や不満を訴えたくても、「わが日本をどうするか」というナショナリスティックな語り方
しか提供されていない。「<癒し>のナショナリズム」には、「つくる会」の一般会員たちのインタビ
ューが収録されていますが、それを読んだある作家は「この人たちは権力があるわけでもないのに、ど
うしてこんなに<上>からものを言うんだろうね」と言っていました。おそらく彼らがテレビや雑誌上
の評論家の語り方しか、社会を論じる方法に接したことがないからでしょう。地域で具体的な問題に取
り組んでいる人なら、「この原発をどうするか」とか「この開発計画をどうするか」といった語り方は
しても、「わが日本をどうするか」といった語り方にはならない。
―このところ、ナショナリズムへの関心が強まっているのはなぜでしょうか。
社会が不安定で「自分探し」が流行しています。しかし「つくる会」の会員には、ただの「自分探し」では情けない、
社会的な関心も持ちたいという気分もあるようです。両方兼ねると、ナショナリズムへの関心になるのでしょう。
しかしナショナリズムといっても、核になる理念がない。ナショナリズムの核として、戦後の進歩派は平和憲法を、
保守派は天皇を、それぞれ掲げました。しかし「つくる会」の会員たちは、そのどちらにもリアリティが持てないよう
です。結果として彼らは「私たちは普通の市民だ。異常なサヨク(左翼)ではない」という排除の形でしか、自画像を
描けない。とはいえそうした排除を続けても、その「普通」の中身が何もないのだから、彼らの不安が解消されること
はあり得ないと思います。
―今後の展開をどうみますか。
有力な社会運動に発展するほどの組織力があるとはあまり思えません。実は彼ら自身が、非常に
個人主義ですから。ただし、投票行動で雪崩を打つとか、いやがらせメールを大量に送るといった行動
に出る可能性はある。石原慎太郎氏が大量得票するといった現象に、それが部分的に現れていると思い
ます。
―国会では憲法や外交問題に関して、若手議員の「ネオコン(新保守主義)化」も
指摘されています。
天下国家を語った方が楽なのではないでしょうか。具体的な問題が回避できますから。特殊法人をつぶすよりは、改憲
をいう方が、彼らにとっては易しいと思います。タブーに挑戦するポーズをとっていても、彼らにとって一番タブーにな
っている部分、例えば利益誘導や派閥政治を改革するといったことは避けている。彼らは「改憲」に逃避しているのだと
思います。
「つくる会」の人たちは「エゴイズムの横行は戦後民主主義のせいだ」といった批判をします。しかし、彼ら
は、本当は戦後の思想も歴史もよく知らない。戦後の進歩派はエゴイズムに批判的だったし、平和主義をナショ
ナルな理念として打ち出していた。むしろ保守派の方が、理想より経済成長、平和主義より対米協調と言い続け
てきた。その経済成長がエゴイズムをもたらしたとすれば、彼らが批判すべきは保守派のはずでしょう。