216 :
文責・名無しさん:
>>212 (1)
論拠として上げられている
>>166の半分はスコット・リッターだよな?
同じく166のブリクスのほうは具体的な話が全くない。
ゆえに166は論拠に値しない。
同じく177の小林の文の元ソースはリッターだから、したがって、
リッターが怪しいと言うことになれば、177も論拠たりえなくなる。
以上の2点により、君のご高説は論拠が怪しくて信頼するに足りない、ということになる。
(2)
査察にフセインが非協力的であり、武力行使寸前に至った件や、
フセイン・カーミル事件をなぜ未だに無視するのか?
これらの件を見て、アメリカがフセインと共に
「国連の査察」に対しても不信感を抱いたわけだが?
217 :
文責・名無しさん:03/08/29 19:05 ID:YD3vhlVK
(3)
その国連は、先にパウエルが示した失笑ものの証拠提出のときでさえ、
「これら証拠は証拠たりえない」と指摘すると共に、
「フセイン政権は査察に今なお協力的でない」とも断じている。
つまり、大量破壊兵器はあるかないか分からないという立場を国連は取っていたわけで、
これは武力侵攻に反対していたフランスやロシアも認めている。
当時の声明ぐらい読んでるだろ?
あるかないか分からないのなら、
政治家としては「ある」可能性も考慮に入れなければならないわけで、
あとは政治家それぞれの判断。
後出しジャンケンでああだこうだ言っていればいい小林とは、
責任の重さが違う。
例えば現在、北朝鮮の核は、あるかないか分からない――
まだまだ核兵器として使える状態にはないという軍事専門家もいれば
(防衛庁も基本的にはこの立場)、
既に10発の核を持っているとする情報もある――が、
だからといって「ある」可能性を放棄した政治判断をしていいということになるのかね?