【バカの壁】恨米ちり紙・わしズム33【超えれん壁】

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337文責・名無しさん
「1989年には、識字率は90パーセントでした。子供を学校にやらない両親は罰せられていました。
ストリート・チルドレンなど耳にしたこともありません。イラクは、子供も含む国民の安寧を
めぐる全体的な指数で言うと、世界で最良の状態にあった国の一つでした。
ttp://www.jca.apc.org/~kmasuoka/persons/pilger7.html

70年代にUNESC0の認定で、当時のイラクは中東でも屈指の教育水準にあったらしいの
ですが、それはサッダーム・フセインが、学校に子供を行かせない親を投獄したりする
厳罰主義を採った結果、識字率が大幅に改善されたからだそうです。逆に言えば、
サッダーム・フセインの下では自由なカリキュラムを作ることは許されていなかったのです。
ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/staff/iraq/20030506.html

第一次世界大戦が終了した1917年、英・仏列強がアラビア砂漠の利権をめぐり居住民族や
宗教の違いを無視した国境線を引いた。イラクはいわばその犠牲となり、内紛が続く不安定な
国となった。1958年にはクーデターが発生し、国王一家は射殺、首相は路上で八つ裂きにされた
という。このように長く続いた内紛に終止符を打って政権の座についたのがサダム・フセインだった。
サダム・フセインは強力なリーダーシップを発揮して国民の識字率・教育水準を高め、女性の
社会進出も認めるなど国の近代化に成功した。意外にもその影には、イラン革命の影響を牽制しよう
とした米国の資金援助があった。当時、外交特使としてサダム・フセインと握手したのはなんと
ラムズフェルド現米国防長官だったとか。ttp://japan.discovery.com/news/new00130.html

1970年代中頃からのイラクは、豊富なオイルマネーを使って、野心的な社会改革、経済発展に乗り出した。
その結果、識字率は2倍となリ、イラクの保健、教育、文化の水準はアラブ諸国でも一、二を争うほどと
なった。中産階級が台頭し、高速道路や空港も整備された。しかし、こうした社会的・経済的に豊かな時代は、
1980年9月にはじまったイラン・イラク戦争によって終わりを告げた。
ttp://www.idcj.or.jp/1DS/11ee_josei030416_2.htm