★★ここが変だよ 筑紫哲也 Part115★★

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579文責・名無しさん
明日はいよいよ「氷雪の門」事件から58年

筑紫哲也が言及できたら・・・・・


出来る訳無いか・・・・・


 8月20日。突如、樺太真岡の町の沿岸にソ連艦隊が現われ、艦砲射撃を開始した。
人々はうろたえ、ある者は逃げ、ある者は最後の抵抗を試みようとした。
しかし、艦砲射撃とマンドリン銃の前に、捨身の闘いは通じなかった。

 やがてソ連軍は上陸を開始、町は紅蓮の焔と銃の乱射によって様相を変えた……。
この時、関根律子を班長とする第一班の交換嬢たちは局にいた。
緊急を告げる電話の回線と、まだ避難を続ける町の人々へ、その避難経路を告げ、
多くの人々の生命を守るためにも、彼女らは職場を死守した。

 じりじりと迫るソ連兵の群。ただ一本の電話廻線からは、局長の職場を捨てるように、との声が聞こえる。
律子はポケットから青酸カリの瓶を出した。他の八人の乙女たちは律子の側に寄った。
そして、彼女ら九人は服毒した。最後まで電話交換嬢として、プレスを耳にかけたまま……

「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら……」

--現在、北海道稚内市・稚内公園内に、失われた樺太を遥かに望んで、
厳しい風土に耐えて生きぬいた樺太民島を象徴するかのような女人像が建っている。
これは「氷雪の門」と呼ばれている。

 後の昭和四十八年にこれを題材にした映画が制作されたが、
上映直前にソビエト大使館から横槍が入り上映中止に追い込まれた。