○●○朝日の社説 Ver.8

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1331言居士 ◆aTIDGKAjYc
朝日社説1970/1/1

  70年代への姿勢

 人間は去年はじめて月に立って地球をみた。「人間にとっての大きな飛躍」である。空気も水も生命
もない一天体からみる地球ーー--人類の故里であり生命の躍動する一天体の景観は、テレビをつうじて全
世界の人びとに、同時に共通の強い感銘を与えた。
 鏡に自分の姿をうつすことは、自分をみつめることのはじめである。主観からはなれて自分自身を客
観的にながめうる動物は、おそらく人間だけであろう。日本人が海外に出て日本を見直すように、宇宙
空間への進出が地球人という意識を高めなければ、むしろふしぎである。
 一両年末「人間」が急にやかましい問題となってきたのは、人間が自分自身をみつめるようになって
からだろう。機械やシステムの奴隷(どれい)であってはならぬという自覚が、はっきりあらわれてき
たのである。今年の万国博のテーマ「進歩と調和」も、人間尊重を基調としている。
 きょうはじまる1970年代は、人間復権の要求が高まり、あたらしい価値観を模索する時代であろ
う。いっさいの古い権威は、六〇年代にゆらぎ、あるいはくずれ去った。七〇年代に人類は、あたらし
い価値観を確立することができるかどうか。

1341言居士 ◆aTIDGKAjYc :03/08/14 19:31 ID:6jHPAG3W
(2/5)
歴史から学ぶ

月から地球を見直すように、ある距離をへだてることは理解をたすける。今日の人間復権運動は、現
在から過去をふりかえった結果にほかならない。キリスト教世界における宗教改革とルネサンスが、人
間の良心と理性に信頼をおき、近代の幕をひらいたにもかかわらず、現実の到達点は人間の物化でしか
なかったことに、気づいたからである。
 同じ道理から、自由・平等・友愛という原点にもどれ、との要求が、一九五〇−六〇年代、アジア・
アフリカの民族解放運動の推進力となっていた。これら新独立国の良識が、国連の平和機能喪失に歯止
をかけ、大国の横車をある程度おさえているのだ。
 歴史を学ぶ態度としては、過去を現在に生かすこと、すなわち、歴史から学ぶことこそが大切なので
ある。この意味では歴史は現在の問題であり、未来を考えることといえるであろう。
 日本人はしばしば、歴史から学ばなかったため、あやまちをおかした。たとえば、中国その他アジア
諸民族は明治維新から学ぼうとしたのに、その日本は、不平等条約の足かせに苦しんだ経緯をもちなが
ら、同じ性質の問題になやむ諸民族のたたかいを理解しえなかった。逆に侵略を試みたのである。
 最近の一例としては、学生運動があげられる。実践をとおして学ぶという姿勢は正しい。だが、他人
の経験や実験、それにもとづく意見を軽視することは、先人のそれを軽視することでもあって、歴史か
ら学ぶという態度とは相いれない。それは科学的ともいえぬ。その結果、先人がおちいったと同じ性
質のあやまちに、おちいったのであった。
135文責・名無しさん:03/08/14 19:33 ID:6jHPAG3W
(3/5) 未来の視点から現在をみる

 現在から過去をふりかえるように、未来の視点に立って現在をみてはどうだろうか。それは未来に一
つのビジョンを設定し、その実現を可能ならしめる条件が現在の状況のなかにあるかどうかを検討し、
もしあれば大切に育成する、という発想法である。
 いわゆる現実主義者は、こうした考え方に反対かもしれぬ。しかし、いまの現実の延長線上に未来図
をえがけば、あかるいのは技術面だけだ。精神面、すなわち人間の価値観が関係してくる分野では、だ
れもあかるい見通しをもつことができない。
科学技術は人間によってみちびかれるべきもの。それが逆に、人間が科学技術にひっぱりまわされる
のではこまるのだ。現代文明の危機は、まさにこの”こまる状況”に、おちいっているところにある。
 冷戦の論理も、いまはそれが一つの秩序を形成していて、脱出は未知のジャングルへの冒険を意味す
る。それだけに、歩いてきた迷路を惰性的に歩きつづけるほうがやさしい。安保体制も、核抑止力も、
恐怖の均衡も、迷路における惰性にすぎない。
 未来に一つのビジョンを設定することは、考え方を切替えることである。地球人として共通の立場に
たてば、核兵器の過殺傷力のもとに生きることは、文明の生んだ日文明、小さな合理主義の追求が生ん
だ大きな不合理だ。ということがすぐわかる。
 世の中には小さな現実と大きな現実とがある。ビジョンの設定は、大きな現実に土台をおくものでな
ければならない。たとえば、尾崎萼堂は「廃藩置県なくして世界に真の平和なし」といって世界連邦を
提唱した。日本という大きな国へと統合される過程で、藩ナショナリズムが清算されていった。それに
似た動きが、現在欧州共同体となって具体化している。廃藩置県には普遍的意義があったのだ。
1361言居士 ◆aTIDGKAjYc :03/08/14 19:34 ID:6jHPAG3W
(4/5)開放的ナショナリズムを

 世界連邦を可能ならしめる条件はいくつかある。その一つは、国家主権絶対思想の退潮である。いか
なる核保有国も、現在、核兵器の使用は勝手だといいきることはできない。使用は自殺を意味するばか
りでなく、人類への反逆だ。一進一退はあるにせよ、大きな方向としては国家主権への制限は、もっ
とひろく容認されていくに相違ない。
 それ以外に人類が核時代を生き抜く道はないという論拠から、世界連邦運動を推進してきた世界的有
名人も少なくない。だが現在、最大の障害はナショナリズム強化の世界的風潮である。
 たしかにナショナリズムは、国際政治を動かす有力な要因であるばかりでなく、進歩的な役割をはた
している。被圧迫民族のネーションとしての自覚が、国際社会における正義と公平の土台であること
は、個人の自覚が民主主義の土台であるのと同じ理屈だ。中小諸国のナショナリズムを軸とする国際政
治の多極化も、両極化時代に比べて進歩だ。
 それにしても、ナショナリズムの進歩性には限界がある。その相克が激化してゆく一方の世界では、
暗い未来しか期待することはできないからだ。そこで、閉鎖的で独善的なナショナリズムを否定する、
開放的で普遍性をもつナショナリズムが、望まれるのである。それは、インタナショナルな理想を追求
するナショナリズムといってもよかろう。
 日本国憲法は、まさにそのような性格をもつ。それをアメリカからおしつけられた憲法とみるのは、
きわめて偏狭なナショナリズムといわねばならぬ。
1371言居士 ◆aTIDGKAjYc :03/08/14 19:35 ID:6jHPAG3W
(5/5)地球人としての目標

 経済的発展とともに、日本はアジアにおいてもっと大きな責任を負うべきだ、という声が高まりつつ
ある。沖縄返還も日米安保体制の強化も、この観点から論じられている。総選挙で勝利して地震をえた
自民党政府のもとに積極政策がとられるであろう。
 その場合、日本が、基本目標として世界連邦をめざし、途中の困難を一つ一つ克服してゆく努力をす
るか否かによって、アジア諸国の日本を見る目は全然ちがうであろう。それは当面、体制の相違をこえ
て人間と物質の交流をはかり、国際緊張の緩和、アジアの地域協力に努力することだ。かような究極目
標にもとづく政策をあきらかにしえぬ日本ナショナリズムの高まりは、軍事的な不安感をアジアの幾つ
かの国に与えるに相違ない。たとえ経済の分野に日本の進出がかぎられるとしても、かつての大東亜共
栄圏の再来と受け取られる危険が多分にある。
 ベトナム戦争を契機として、戦争にたいする考え方は大きく変った。国民総生産(GNP)を基本的
価値の指標としてきた日本経済は、公害や人間疎外といった問題に直面して、「豊かさとは何か」と
いうことがあらためて問われている。戦後日本のもう一つの基本的価値であった「平和と民主主義」
も、もはやその言葉にもたれかかっているような安易な姿勢は許されなくなった。それが日本国民が六
〇年代から学んだことである。
 その一方、南北問題は深刻化してゆく。ナショナリズムの観点からでなく、地球人として取組むべき
問題がここにある。
 現在の延長線上にえがきうる未来図は、けっして明るいものではない。しかし惰性で歩きつづけるの
ではなく、一つの目的意識をもって歩きたい。そこに”生きがい”も発見できるのではないだろうか。
人によって考え方の相違は当然としても、六〇年代の混乱にみちびいた考え方を根本から切替えること
によって、七〇年代への希望を発見したい。

(以上)