『産経抄』ファンクラブ 第9集

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274はいはい、サヨ攻撃をするときは元気だね
◆【産経抄】
  「社会現象も人間の病気と同じで、単一ではなく複合的な要因で起こる」
 とは先日の石原慎太郎氏『日本よ』の考察だが、東京・渋谷で起きた小六少
 女誘拐監禁事件も例外ではない。“被害者学”からすると、背景には重層的、
 複合的な要因があるだろう。
  ▼本紙に寄せられた読者の投書には、しつけや監督をなおざりにした「親
 の責任」を問う声が多かった。同時に少女を食いものにする危険な街になっ
 た「社会風潮」をあげる声も少なくなかった。ともに事件を生んだ大きな要
 因の一つであるに違いない。
  ▼社会風潮についていえば、戦後の教育では子供はみんなよい子になって
 いた。子供はすべて立派な一個の人格を持ち、それぞれに個性を無制限に伸
 ばす権利があるとされた。子供に与えられるおとぎ話や童話は、ことごとく
 平和愛好ふうに改良いや改竄(かいざん)された。
  ▼「カチカチ山」にしたところで、タヌキはおばあさんを殺してババア汁
 などにしはしない。ウサギもおばあさんの敵討ちでタヌキの背中を焼いたり、
 泥舟に乗せて沈めたりしない。すべて話し合いで丸くおさまるように改めら
 れた。
  ▼『本当は恐ろしいグリム童話」という本がベストセラーになったが、「ヘ
 ンゼルとグレーテル」の兄妹が森の中でたどりついたお菓子の家にはだれが
 いたか。本当は子供を食う魔女の家だった。あれは人殺しの領主の子供狩り
 の話なのだということだった。
  ▼寓(ぐう)話(わ)やおとぎ話は、人間の残酷で陰険で狡猾(こうかつ)
 な一面を伝え、裏側も教えるものだった。そうやって人間のなんたるかを学
 ばせるものであったはずである。ところが日本の戦後教育は、偽善から出発
 した。渋谷で下着を売るような少女たちの「親」は、そういう偽善に育てら
 れた世代である。