☆朝夕の娯楽★天声人語素粒子。20世紀ノスタルジア★

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■《天声人語》

桃から生まれた桃太郎の話はどなたもご存じだろう。犬と猿と雉(きじ)を従えて鬼ケ島
に鬼退治に行き、宝物を持ち帰る。では、桃太郎はなぜ征伐に向かったのか。

元々の素朴な話では、そんな問いは無用かもしれない。宝物目当てでもいいし、鬼は
悪者だから当然の征伐だと考えてもいい。しかし明治以降、征伐の正当化も含め桃太
郎は「期待される日本人像」として様々に脚色された。『桃太郎像の変容』(滑川道夫・
東京書籍)に詳しい。

皇国日本に逆らう奴(やつ)だから征伐する。明治中期に出たこの理由づけが明快で、
底流をなす。日露戦争後には、こんな勇ましい戦闘場面も描かれた。「突貫! 進め!
斬(き)り伏せよ/青鬼赤鬼白い鬼」。もはや自明の「聖戦」か。

異質の「桃太郎」が現れたのは大正末期だった。鬼ケ島が「天然の楽土」として描かれ
る。平和な島を侵略し、あらゆる罪悪を犯すのが桃太郎だ。降伏した鬼との問答が興味
深い。「征伐の理由は?」に「犬猿雉の忠義者を召し抱えたからだ」と桃太郎。「召し抱え
たのはなぜ?」には「征伐のためだ」。大義のなさを痛烈に皮肉った。

作者は芥川龍之介である。その少し前、彼は中国旅行をした。そこで出会った知識人
に「最も嫌悪する日本人は桃太郎だ」と言われ、虚をつかれたようだ。その衝撃が桃太
郎像の転倒につながったのだろう。

「昭和の日」ができるかもしれない。芥川の死とともに始まったともいわれる昭和である。
彼は、昭和の暗い面を見通していたかのようだった。きょうは彼の命日、河童(かっぱ)忌
である。