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文責・名無しさん:
12日 名古屋版
首相世学んで国の戦争責任
会社員 山縣 年光(愛知県瀬戸市 49歳)
小泉首相は良く「備えあれば憂いなし、それを備えがあるから憂いがあると言う人がいる」と発言
する。
そんなに単純だろうか。「備え(軍事力=自衛隊)」と言うものは、使うもの(政府)によって、またそ
の使い方によっては「憂い」にもなり得るのです。
先の大戦での日本の天皇制軍国主義による侵略や、朝鮮半島の植民地支配を正当化しようとす
る政治家たち、自分たちを苦しめた軍人を「英霊」として拝むのはやめて欲しいと隣国が思っている
のに、靖国神社を参拝する首相に軍事力を任せるのは「憂い」です。
「教え子を戦場に送った償いを」(6月26日付)で戦時中に教師として生徒を戦場に送った経験から
高齢になっても、車いすで反戦ビラを配っている方の投稿を読み、これこそが日本人の良心だと思
いました。
侵略戦争を指導したメンバーが直接、若者たちの肩を叩いて戦場へ行かせたのではないでしょう。
末端では学校や職場、青年団、在郷軍人会、宗教団体などが強制力を働かせた。その責任も思
い。が、この人たちとA級戦犯とは責任の次元が違います。
小泉首相は国家としての戦争責任問題について、草の根の反戦運動から学び、教訓とすべきで
す。
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はい、いつもの人です。
とりあえず、「学ぶ」のはお前の方だ。
大体、強制力を働かせたものに「マスコミ」がすっぽり抜け落ちてるのはどういうことだよ。