中日新聞・東京新聞こそ電波!! その7

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350過去の傑作
編集局デスク(3/15)
・なんでだろう 編集局長 小出 宣昭
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 二人の若者が、ギターを抱えて「なんでだろう、なんでだろう」と口ずさむ歌が
はやっている。日常のささいなことに、なんでだろう、とといかけるところが
新鮮な笑いを引き起こす。
 不思議を表す「なぞ」という日本語は、「何ぞ?」と問いかける言葉が名詞に
なったものだ。なぞなぞは、何ぞ何ぞ、という意味である。この歌の古語というべきか。
 なぞなぞ遊びの歴史は、古い。〇〇とかけて、××ととく、心は、なんていう
日本固有の「三段なぞ」は江戸時代からのものだ。
 落語にも登場する「いろはのなぞかけ」は、その代表だろう。テツandトモ風の
歌でやれば「いろはのいの字は、茶の湯の釜だ。(なんでだろう)、炉(ろ)の上にある」
「次のろの字は、上唇。(なんでだろう)、歯(は)の上にある」・・・
 中国からきた「字謎(ルビ:じめい)」という感じのなぞかけは、知識人に流行した
そうだ(なぞの研究・鈴木棠三著、講談社)。
 朝鮮通信使が、こうなぞをかけた。「月また月あり、両月半ばを共にす、一山また
二山、三山は逆転す、上に耕すべき田、下に長き川あり。六口一空を共にす」(原文は
漢文)。これを見て、日本の学者がすかさず「用」の字だと答え、感嘆させたという。
この字を解剖すると、漢文のなぞが分かってくる。
 なぞなぞ遊びも、なんでだろうの歌も、当たり前と思っているものごとに基本的な
問いかけをして、気がつかなかった側面に光を当てる。軽妙な笑いの文化だが、時と
して確信を突くこともある。
 イラクの脅威はほとんど感じられないのに、寄ってたかって戦争をせねばならん、
という。なんでだろう。
 子供たちには弱い人々を助けなさい、お金に目がくらんではいけないと教育する。
そういう政府が、強くてお金持ちの国の方を持ち、一方で「教育に道徳を」と叫ぶ。
なんでだろう。
 日本と北朝鮮は、国交を正常化するために首脳会談を開いたのに、会談前には
あまり言われなかった「北朝鮮の脅威論」が、逆にふくらんでしまった。なんでだろう。====================================
351過去の傑作:03/07/12 13:52 ID:4F888pfV
編集局デスク(5/31)
・こころ裂かれて 編集局長 小出宣昭
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 名古屋でシンポジウムがあり、内閣官房参与の中山恭子さんにお会いした。
北朝鮮に拉致され、20数年ぶりに帰国した5人の方々を暖かく見守ってきた
「政府のおかあさん」みたいな人である。
 昨年10月、平壌空港で初めて5人に会ってから、この人たちの傷ついた心を
やさしく包んできた中山さんは「人の運命のはかなさ」について静かに語ってくれた。
 曽我ひとみさんは、北朝鮮にいたときに自分が拉致されていたことを家族に
打ち明けていたそうだ。ある日、娘達が「どうして私たちには、おじいさん、おばあさんが
いないの」と聞いてきた。
 困った曽我さんは一晩考えて、日本から連れられてきたことを話したという。
だから曽我さんの家族は今回の帰国の理由を知っている。
 平壌空港からの別れ際、中山さんは、曽我さんの夫・ジェンキンスさん(米国人)に
「日本政府が責任をもって返しますから心配なさらないように」と英語で話しかけたが、
彼は「家族がばらばらになることに耐えられない。私は、ひとみを心から愛しているんです」
と訴えたという。
 曽我さんは今でも「あの家庭に戻りたい」「もう一度つくり直したい」「飛んで会いに行きたい」
と心の中で思っているそうだ。しかし公の場では決してそれを口にしない。
「20数年の体験で、状況を見る目が養われたのだと思います」と中山さん。
 祖国での歓迎に浸りながらも、曽我さんの顔に浮かぶかすかなあ憂いの深層である。
蓮池さん、地村さん夫妻にも同じ葛藤があるだろう。
 拉致問題は、北朝鮮の核の脅威がからんで、出口がみえないままである。
常識が通じない国に話し合いは無用、という強硬な意見もあるが、それは5人の方々の
人生をまたしても踏みにじる結果になりかねないだろう。
 百万の大軍に変わって脅威を無くし、友好への道を探るのが外交である。
30余年前、中国との国交正常化をなしとげた努力を思い起こしたい。その結果、北朝鮮より
はるかに強大な中国の核は、ほとんど脅威ではなくなったのだから。
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