日本のマスコミは提灯持ちの大政翼賛機関 その2

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694文責・名無しさん
 ここで道路政策の根本を論じておきたい。小泉構造改革論支持者は「地方における高速道路建設は無駄である」という考えに立っている。
財政再建の妨げになるというのである。財政を投入しているのは道路建設だけではない。他にもっと大きな支出はある。
道路建設だけが財政再建の障害になっているというのは論理的に成り立たない。これはあまりにも偏った考え方である。
 論理的に説明のできないことをマスコミをつかって騒ぎ立て、力づくで押し切ろうというのが小泉首相と小泉政権の手先の
マスコミがやろうとしていることである。これはもはや政策論争ではない。政争である。旧主流派勢力を倒して小泉独裁権力を
打ち立てようとする野望にマスコミが協力しているということになる。
 地方の住民も東京の住民も同じ権利をもつ日本国民だということを忘れるべきではない。日本は東京都民だけのものではない。
地方が求める高速道路建設は実行すべきである。予算全体との調和によって解決すべき事柄である。
 国民的に議論すべき問題について、すべての大新聞とテレビが一つの視点だけで情報を流せば国民はそれを真実と思い込む。
正しいと思ってしまう。その考えが国民によって承認されたものだと思い込む。違った見方が社会の中に存在しているにもかかわらず、
マスコミがこれを頭から無視すれば、違った見方はないものだと国民は思い込む。国民は一つの方向に誘導されてしまう。
 このようなことは政治権力者もマスコミも十分に知っている。政治権力はマスコミを使って国民を一定の方向に誘導しようとする。
真に民主主義的なマスコミであれば、このとき政治権力を批判する。しかし、日本では大マスコミは小泉政権に従順に従っている。
マスコミが政権の側に立ったのである。政権とマスコミの癒着によって高速道路を求める地方の願望は無視され踏みにじられた。
695文責・名無しさん:04/04/03 20:56 ID:iDlwL7lu
 ジャーナリズムにとって最も大切なものは何か。理想をもつことである。理想を失ったジャーナリズムはもはや「言論」ではない。商売にすぎない。
ジャーナリズムとしての社会的役割を担っているマスコミが、理想を失ってしまったことをいささかも恥じることなく政治権力の手先になるとすれば、
それは第二次大戦前から戦時中の時期に軍部主導政権の手先となって戦争への道を煽り立てたあの時の大新聞と放送と少しも違わない。戦後、
ジャーナリストの多くが戦争に協力したことを恥じて再び政治権力の手先にだけはならないと誓ったことを戦後59年しか経っていないのに忘れてしまったのかだろうか。
 「地方」のことをもう少し温かい心で見ているジャーナリストや学者はいるだろう。この人たちの発言をすべてシャットアウトしてしまっているいまのマスコミは、
どうみても異常である。民主主義に逆行している。
 ジャーナリズムが絶対にしてはいけないこと----それは政治権力の下僕になることである。戦争への道をひた走るブッシュ政権のサーバントとなって
戦争への道にのめり込んでいる小泉内閣を支持し、平和に生きもう少しましな地域社会をつくろうとする地方をないがしろにするのが今の大マスコである。
それでいいはずはない。マスコミは反省してほしいと願う。