547 :
文責・名無しさん:
>>546 プ、陸軍軍法会議の詳細を無理に見ないで形式的なことを書くんだね。
テロはテロ、というより糞ウヨ主導のテロより悪いクーデターか。
それにしても有事法制が成立すると、時の政権にとって都合が悪い
政治運動は、全てレッテル貼られて排除されるようになる蓋然性が
高いわけだが、そういう精緻な議論は全くしないんだね。
さすが、建国義勇軍マンセー、権力マンセーの藩閥政府化石は違うな(ww。
>>546 言い分け無用。
日本国の政治形態を武力で変革したことをきちんと踏まえた上で書き込みしましょう。
548 :
文責・名無しさん:04/02/29 14:34 ID:U5ky3vaX
あれから(5・15事件から)72年。
いま、2004年。私の胸中には憂いがある。深い憂いがある。憂いと共に、「あのとき、あのころ」、
いやでも感じさせられたものに通じかねない何かしらを感じとる。社会の中に、政治の動きに、日本の動静に。
(中略)
ひとこと加える。5・15事件(と、いま歴史上記される)は、祖父一人の殺害だけで終わったわけではなく、
同日、同時刻からのち日本銀行・三菱銀行本店襲撃、牧野内大臣官邸及び警視庁襲撃、午後6時半ごろには、(海
・陸軍人だけではなく、当時軍部と密に近づきあっていた右翼系―さきに出した血盟団と相通じる―「農民決死隊」
による)東京七つの変電所襲撃をも含みこむ、本格的テロであったこと。東京じゅうをまっくらにして戒厳令を
発動させ、軍部に抵抗するすべての力をおさえこんで軍主導の政権―独裁政権―をつくらせるつもりだったと、
あの日、腰にピストルをつきつけられて恐怖のあまり泣くことさえ出来なかった弟は、のちに、報道関係の仕事に
50年かかわり、昭和史をメディアはいかに報じたか、いかに筆を曲げさせられたかを一々しらべたのちに書いて
いる(「5・15事件と私」。木堂記念館での講演の記録)。
繰り返す。5・15テロの一切は国民に知らされなかった。内務省、陸軍省、海軍省、司法省が一体となって
報道・言論の自由をきびしく禁止したから。統制してしまったから。
一年たったのちようやく知らされたことは、「国のこんごを憂える若手軍人たちの純情と純粋さ」に焦点があてられて、
「テロの悪」ではなかった。
549 :
文責・名無しさん:04/02/29 14:41 ID:U5ky3vaX
1933年からのち、ずっと、日本人―ふつうの、善き日本人―は、軍の「純粋さ」にほだされ、愛国心をほめ、
「減刑を、減刑を」と叫びつづけていたのだから。そんな中から、四年後の、こんどこそはクーデターの名に値する
近衛第一師団第一第三連隊1400名の将校・下士官・兵たちによる2・26事件が起ることにつながってゆく。
「軍にやるカネはもうない、一文もない」と、国内経済のひどさを正直に閣議で、議会でさらけ出した蔵相高橋是清翁
をはじめ、「へっぴり腰」の斎藤実内大臣・海軍大将、岡田(陸軍大将)総理大臣(命は助かった)、理性派の渡辺
陸軍教育総監が血祭りにあげられ、こんどこそは戒厳令が布かれた。天皇の異例の詔「朕はうらみに思うぞ」が決起
将校・兵たちに向けて発せられる事態となった(この、2・26事件の5日前には、天皇機関説の美濃部達吉氏が狙撃
されている)。