日本のマスコミは提灯持ちの大政翼賛機関 その2

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455文責・名無しさん
 いま仮に日本が戦争の当事国になったとしたら、日本人記者による「敵国からの報道」を日本
の政府や世論は受け入れるだろうか。イラクで人質になった日本人のうち何人かでも、もし殺されて
いたら、バグダッドからの日本人記者たちの報道を日本社会は冷静に許容しただろうか。それが
許容されるような日本社会にしなければならない。
 ジャーナリズムは日常的に偏狭なナショナリズムを克服して、いつも真の国益とは何かを冷静に
追求することが求められる。戦争になってからでは、本当は遅い。
 時の政府の利益と民衆のための真の国益とを見分ける眼力をどう養うか。それはいつの時代の
ジャーナリストにとっても、最大の課題といってよい。とかくごまかされやすい「国益」に代えて、
「国民益」という言葉を使うことを考えてみてもよい。「国民の生命、身体、財産の安全」を
はなれて「国の安全」はない。「国民の利益」を離れて政権の都合による「国益」が独り歩き
をするのでは民主主義とはいえない。