日本のマスコミは提灯持ちの大政翼賛機関 その2

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179文責・名無しさん
(前略)
 その意味でジャーナリズムは、常に最大公約数的な思想を代弁、反映しやすい。「論より事実
報道」を掲げて一人でも多くの読者を獲得しようとする新聞、「面白主義」で視聴率を少しでも
高めたい放送、そのどちらにとっても「お客様は神様」である。神様はマジョリティでなければ
ならず、時代の多数派は常に倫理観も秩序観も美意識も、現実主義と保守主義に傾きがちである。
ジャーナリズムが現実に対して批判的になるためには、理念を掲げ、それに向かって意識的に努
力することが不可欠になる。
 現実から離れてジャーナリズムは成り立たないが、現実に足をとられたままではジャーナリズ
ムの社会的機能は果たせない。民主主義の政府は民衆が選挙で選んだのだから野党性を旗印にす
るのは時代遅れだといって、権力を監視すべき番犬が眠りこけていたのでは、ジャーナリズムは
民衆から見放される。政治報道に対するジャーナリズムの姿勢、その根本にある「不偏不党」の
思想は、あらためて問い直されなければならない。また、世界第一級の自由な環境にありながら、
日本のジャーナリズムに今なおタブーがあるのはなぜか。危険なナショナリズムに傾斜しやすい
記者たちの国益観はこのままでよいか。「ニュースに意見をはさんではならない」という客観報
道主義が形骸化し、それが情報操作に利用されてしまう構造、これらの点も再検討する必要があ
る。