○●○朝日の社説 Ver.6

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355文責・名無しさん
■《天声人語》

日本は一方的な侵攻を受けた経験がほとんどないといっていいだろう。
外国の軍隊から理不尽な侵攻を受けた経験のことである。はるか昔、
13世紀の「蒙古(もうこ)襲来」が唯一に近いかもしれない。

あのときも突然モンゴル帝国が攻めてきたのではない。攻撃の6年前から
何度か外交文書が高麗経由で幕府、朝廷に届けられた。鎌倉幕府は
すべて無視した。

モンゴル側が「返事がないからには攻撃の準備をせざるをえない」と
最後通牒(つうちょう)めいた通告をしてきても、なすすべはなかった。
幕府は当時の国際情勢にまるで無知だった。知る機会がまったくない
わけではなかったが、内政に手いっぱいで知ろうとする意思がなかった
ようだ。

最初の攻撃は1日で終わったが、『日本の歴史10 蒙古襲来と徳政令』
(筧雅博・講談社)などによると凄惨(せいさん)な戦いだった。鎌倉武士の
誇りである名乗りをあげての一騎打ち戦法で立ち向かったものの敵が
応じるはずもない。集団で取り囲まれて次々命を落とした。外の世界を
知らない悲しさである。

鎌倉幕府のまずい対応にもかかわらず、幸運も重なって2度の侵攻を
食い止めたが、日本史に残るまれな「有事」の経験だった。歴史を
見渡すと、これ以外の「有事」はほとんどが日本から仕掛けたか、
あるいは日本の軍隊が外に出かけていたときに起きた「有事」だった。
言い換えれば自ら招いた「有事」だった。

こうした歴史を振り返ると、今の有事法制論議がどちらを向いているかが
気になる。間違っても「有事」を招くような方向であってはならない。