■《天声人語》 05月09日付
「アメリカ文学には家を建てる話がよく出てくる」といってアメリカ文学者の柴田元幸氏が次のような説を述べている
(『アメリカ文学のレッスン』講談社現代新書)。
建国、つまり国を建てるという大事業が終わったあと建てられるものは家か墓くらいしかない。
「少し大げさにいえば、家を建てることは、象徴的にもう一度アメリカを建てる行為である」。
そのアメリカがいま二つの「建国」にかかわろうとしている。一つはパレスチナで、もう一つはイラクである。
パレスチナについては先日、ロードマップと称する行程表が示された。イラクについてはそこまで詳細な道筋はつけられていない。
思えば、道もまたアメリカについて語るとき欠かせない要素だ。文学や映画にもしばしば重要な役割を担って登場する。
もちろん歩行者のための遊歩道ではない。草原や砂漠を突っ切って都市と都市とを結ぶ幹線道路が主役だ。猛スピードで飛ばす車のための道路である。
しかし「建国」への道が、アメリカの道路のように広く真っすぐだとはとても思えない。
かつてのビートルズの歌のように「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード(長くて曲がりくねった道)」だろう。アメリカ的な運転術をそのまま持ち込んでは危うい。
家の話に戻せば、柴田氏はこんな指摘もしている。アメリカ文学の世界では、ハウス(家)はあってもホーム(家庭)はない。
少なくとも成立しにくい、と。家は建てたものの、人間関係が壊れる例が多い。「建国」という事業にもつきまとう危険である。