10日西部版
「黙々と歩く彼キリストかも」 無職 中村 禮子(北九州市 56歳)
いつも通る道でよく見かけるホームレスの人。顔つきもわからないほど髪やひげは伸び放題、足が
不自由で、年齢もわからない。自転車に全所帯道具をくくりつけ、私が見かけるのはいつも、ひたすら
自転車を押して歩いている姿だった。
ある時、何の脈絡もなく「キリストかもしれない」と思ってから、いつしか私にとってその人は
「キリスト」になっていた。そしてそこを通るたびにその人を探している自分に気付いた。
立派な言葉を吐き、厳かな衣装を身につけ、見るからに賢そうな人でなく、差別と嘲笑、屈辱と苦悩
そして無視の中、黙々と前を、それも足先を見据えながら歩くその姿に心が動いた自分に苦笑しつつも、
外見に惑わされずに「その人」に真実を探そうとした自分にある種の安心感を覚えた。
そして、8年前に医療過誤で亡くなった母を看病しているときに作った句を思い出した。
「今どきのコジキは白衣やバッヂ着け」。自己保身や自己弁護ばかりの世の中にあって、義務も
負わない代わりに権利も放棄したその潔さに、あこがれに似たものを感じた。
明日また会えるかなぁ。
>ある時、何の脈絡もなく「キリストかもしれない」と思ってから
発想がぶっとんでる…