【元常務が批判】朝日をダメにした罪深き幹部たち

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 青山  テレビで家族会の増元照明さんが「朝日は非常に冷たかった」と
述べてました。増元さんの発言にOBの一人として本当に慄然としました。
 片岡  朝日が拉致被害者や家族に冷淡で、北朝鮮に甘かったのは事実で
すからね。
 青山  朝日の姿勢は、さかのぼれば戦後の朝日の社論の基調を作った笠
信太郎論説主幹、そして長期政権の広岡知男社長らに行き着く。
 広岡さんは社の最大株主の村山家との抗争期間を通じ、十数年にわたって
社長、会長を務め、その前の専務時代を含め朝日の言論報道をリードします。
その間、特に中国に入れ込むわけです。その後も編集担当の秦正流さんは新
ソ派ですから、親社会主義の方針は変わりませんでした。
 上が批米・親中ソ北ですから、下は上の姿勢を見てものを書き、しゃべる
わけですね。へつらいというか、出世志向というか、宮仕えの身としてそう
なってしまう。北朝鮮について言えば、編集幹部が訪朝する。訪問団を仕立
てて北朝鮮が設営したコースを見て回る。それで立派だと褒め称える。
 片岡  日本のプレスで最初に金日成に会ったのは朝日です。
 青山  編集局長の後藤基夫さんが北朝鮮へ行きました。
 片岡  あのときは金日成が朝鮮総連を通じて朝日へ声をかけてくるんで
す。昭和四十六年(一九七一年)九月に東京本社編集局長の後藤氏が北朝鮮
へすっ飛んで行く。それで九月二十七日付で一面から社会面まで使って金日
成会見記を載せる。北朝鮮はすばらしいと金日成ヨイショをやる。
 そして昭和五十五年(一九八〇年)にも再び後藤氏が訪朝団長になって行
く。この時は後藤氏は常務だったと思いますが、それでまた北朝鮮、金日成
ヨイショをやる。そのときに外報部の猪狩章次長が歯の浮くような、読むに
堪えないチョウチン記事、ルポルタージュを書きます。