「林彪事件で大恥をかいてしまった」(青山)
「親ソ派と親中国派の葛藤もあった」(片岡)
青山 そこで中国問題で朝日の偏向報道というものがあるんです。これ
は広岡元社長の責任ですよ。私は広岡さんの長逝を悼む記事のなかで書いて
いるんです。広岡さんは中国問題に非常に関心を持っていた。論説主幹を務
めた森恭三さんのほうが二年先輩なんです。広岡さんは元来、体育会系です
よ。東大で野球をやって水原・三原のころに首位打者になっている。広岡、
森の二人は労組の役員のとき、互いに知り合い、政策顧問みたいな形で森さ
んが入ってきて、広岡さんに左翼思想を吹き込んだわけです。
昭和四十五年(一九七〇年)三月、広岡さんは自民党の松村謙三代議士を
団長とする訪中団に同行して周恩来首相と会見します。それですっかり中国、
周恩来に惚れ込んじゃう。
当時、文化大革命が進行中でした。日中間で新聞記者が常駐していた。特
派員たちが文化大革命で壁新聞をめぐってどんどん報道する。中国が、それ
は反中国報道だ、やめろといったけれど、壁新聞以外に何も情報がないんで
ね。結局、それで退去させられるわけですよ。それで一人残ったのが朝日の
秋岡家栄特派員です。なぜ朝日だけ北京特派員で残ったかというと、広岡社
長がこれは歴史の目撃者としておれと。極端に言えば、何も書かなくてもい
いと。
片岡 これには新聞業界で批判が起こりました。