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文責・名無しさん:
■教科書――自由で多彩がいい
来春から高校2、3年生が使う教科書の検定結果が文部科学省から公表された。
緩やかな検定が定着し、かつての国家統制的な色合いは随分薄れたように見える。
検定意見の9割は単純な誤りや誤植を指摘したものだった。残りは、学習指導要領に沿っている
かどうかにかかわる意見が中心だった。
この結果を見る限り、検定は記述の内容をチェックするよりも校閲的な機能に比重を移したようだ。
好ましい変化である。
しかし、納得できない点もある。
教科書の内容の基本となるのは学年ごとの学習指導要領だが、文科省はその範囲を超えて先の
ことまで学べるという方針を打ち出した。それを受けた初めての検定である今回、新方針が
どこまで生かされるかが見どころだった。
確かに、上の学年や大学の教育内容におよぶ記述を盛り込むことは認められた。
だが、そうした指導要領の範囲を超える記述は「発展的な内容」として区別され、本文ではなく
コラムなどの別枠で扱うよう求められた。
748 :
文責・名無しさん:03/04/12 08:02 ID:dqLrqriC
たとえば、物理では、検定前に超伝導を説明する記述が約60行あったが、検定後には途中の
3分の1が別枠に移された。そんな例が理科や数学でいくつもあった。
すべての生徒が学ばなければならない最低限の内容と、余力がある生徒が学ぶ内容とを区別したい
ということだろう。
実態はともかく、大学の入試問題が教科書をもとにつくられるという事情を考慮したのかも知れない。
しかし、文章や説明の流れを遮ってまで「発展的な内容」を区別する意味があるのだろうか。
基礎から応用、さらに高度な内容へという自然な理解の流れを妨げる場合も出てくる。
高校は学校間の格差が大きい。教育の方法も様々だ。教科書だけでなく補助教材も使って、
多様な生徒のニーズに合わせた授業をしている。
教科書そのものにも多彩な内容が盛り込まれていていい。要は教え方である。
今回の検定では、教科書出版社の単純な誤りが数多く見つかった。
日本史では、広島に原爆が落とされた日を「8月15日」と間違えた社があった。英語の文法や
つづりの間違いも数え切れないほどだった。
出版社側が、誤りがあっても検定で正してもらえると考えていたとすれば、とんでもない
お門違いだ。校閲は出版社がやるべき仕事である。
出版社は完成度の高い教科書をつくる。文科省は検定をできるだけ緩やかにする。そうしてできた
様々な教科書のなかから、学校が生徒の実情を考慮しつつ、自由に採用する。そうありたい。
教科書は、自由で多彩がいい。