911 :
しいかずっお:
南京大虐殺から60年目で初めて開催されたシンポジウム
60年目の12月13日午前10時、南京市内では、サイレンが鳴り渡り、長
江に停泊中、航行中の船舶から、そして南京駅に停車中、通過中の汽車からも
一斉に汽笛が鳴り響きました。多くの市民が3分間の黙とうを行いました。南
京市は、60年前にこの地で日本軍によって命を奪われた人々を、市をあげて
追悼したのです。
世界各地でもさまざまな活動が行われました。日本においても各地で、それぞ
れの思いで、さまざまな催しが行われました。ノーモア南京の会では、12月
13日、14日に「南京大虐殺60年・東京国際シンポジウム」の実行委員会
として参加すると同時に、多くの会員の方々の参加を見ました。中国から研究
者、被害者を招いただけではなく、南京大虐殺を記録した『ラーベの日記』の
著者の孫であるラインハルトさんも参加したこのシンポジウムは、参加者に大
きな感銘を与えたことと思います。13日の集会後、参加者一同は南京の犠牲
者を追悼する提灯デモを行いました。
1937年から昨年でちょうど60年、60年目にして、ようやく世界、そし
て日本で南京大虐殺が認識されようとしています。これも南京大虐殺の真実を
1つ1つコツコツと掘り起こしてきた我々の全国の仲間と、東史郎さんのよう
に「南京で何が行われたか」を、自らの体験を語り始めた元兵士の人たちの活
動のたまものだと思います。いま新しい一頁が開かれようとしています。
南京大虐殺の真実をさらに掘り起こし、広く伝え、そして後世へ伝えていかな
ければならないと思います。そのためにも、昨年のシンポジウムを始めとする
活動の成果を今年につなげなければなりません。昨年の成果をふまえ、61年
目の今年も12月13日に、中国から研究者と被害者の方を招いて、証言と追
悼の集会を行いたいと思います。
今年は南京大虐殺事件の中での、日本軍による女性への性暴力を中心テーマと
したいと思います。 “慰安所”を始めとするアジア太平洋戦争における日本
軍の女性への性暴力は、南京大虐殺事件が原点だと思います。
912 :
しいかずっお:03/03/01 10:19 ID:4onkfVq3
矛盾する南京大虐殺否定論
日本のA級戦犯を裁いた極東国際軍事裁判所は、南京において日本軍が
中国人の一般人と捕虜20万人以上を殺害したという事実を認定し、そ
の責任者である松井石根大将に絞首刑の判決を下した。そして、195
1年のサンフランシスコ講話条約第11条において「日本国は、極東軍事
裁判所、並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受
諾し」た。日本は、極東軍事裁判所の判決を受け入れ、大虐殺の事実を
承認したというのが、国際的な常識である。
時あたかも、侵略戦争の最高責任者のひとりである東條英機を賛美する
映画「プライド−運命の瞬間」が、封切られんとしていた時期である。
国内外から激しい批判が集中した。
悲しいかな、日本では“南京大虐殺はデッチ上げ”とか“先の戦争は聖
戦だった” という歴史観が大手を振ってまかり通っている。日本とア
ジアの歴史認識は、ますますその乖離を深めている。このような状況下
、日本のトップに位置する人物が、日本とアジアの人々との間
に不信をあおるような行為をなすことは、断じて許されない。
913 :
しいかずっお:03/03/01 10:26 ID:4onkfVq3
南京大虐殺時における強姦
強姦は、南京攻略戦および南京占領の全期間にわたっておこなわれた。
多くの軍隊が日常的に、しかも、戦闘以外はほとんどどこにおいても行
っていたことにおいて、まさに日本軍の組織的行為であった。強姦は女
性の身体を傷つけただけでなく、心にも深い傷をあたえた。
南京攻略戦段階では、南京近郊の農村で強姦が行われた。農村の場合、
強姦殺害が多いのが特徴である。さきにあげた南京近県の農村における
多数の女性死者の多くはこの種の犠牲者であった。
南京占領後は12月16日ごろから強姦事件が激発するようになり、
南京安全区国際委員会の計算では一日に1,000人もの女性が強姦されて
いる。同委員のベイツは、占領初期には控え目に見ても8,000人 の女性
が強姦され、翌年の2、3月までに何万という女性が強姦されたと記し
ている。(「アメリカのキリスト者へのベイツの回状」1938年11月29日
付)。同委員会が日本当局に報告した、日本兵士による暴行事件444件
のうち、大半が強姦・輪姦およびこれにともなう傷害、殺害の内容で占
められている。
南京における「残敵掃蕩戦」も峠をこえた1月中旬以降は、日本軍の
「慰安」のための「女狩り」としての強姦が日常化していく。強姦殺害
は減少するが、掃除婦、洗濯婦として拉致し、軟禁状態にして連日強姦
するケースや、もっぱら少女を拉致して強姦するいわゆる「処女狩り」
、さらに性的変質行為(例えば、中国人男子に老婆との性交を強要した
り、輪姦した老女にペニスをなめさせたり、少年を獣姦するなど)がめ
だつようになる。
1月末から2月初旬には、日本軍当局から難民区をでて自宅にもどる
ことを強制された婦人たちが帰った家で強姦される事件が頻発している
。なお、強姦が日常化して多くの女性が長期にわたって被害を受けたた
めに、悪性の性病をうつされて廃人同様になってしまった者や、望まぬ
子を身ごもってしまった者、また、そのために無理な堕胎をこころみて
身体をこわしてしまった者などもでて、あとあとまで悲劇はつづいた。
914 :
しいかずっお:03/03/01 10:29 ID:4onkfVq3
南京では大虐殺だけでなく空襲もあった
日本軍機による南京空襲で早くから市民の生命が犠牲になった。1937年
(昭12年)8月15日の海軍航空隊の南京渡洋爆撃にはじまった南京空
襲は、首都の陥落まで数10回行われる。中国の抗戦態勢をたたくため
に、その首都にくわえられた都市無差別爆撃であった。この南京空襲の
犠牲者も南京事件の被虐殺者に含めて考えられるべきであろう。
民間人の犠牲で数量的に多かったのは、南京から避難、脱出しようと
しているところを敗残兵とともに殺害されたり、日本軍の「残敵掃蕩戦
」によって集団的に虐殺された市民である。なかでも嫌疑をかけられた
成年男子の犠牲者数が突出している。
民間人は避難先や残留先においてそれぞれ犠牲になっている。避難の
典型的タイプは、老人が家を守るために留守番役で残留し、女性、幼女
が付近か難民区があればそこに避難し、男性、男子が食糧と身の回り用
具をまって比較的遠く避難する、というものだった。なお南京付近にと
どまった民間人は、安全な遠隔地に移動、避難するツテと財力を有しな
い貧しい階層の人々が圧倒的であった。
南京近県の農村で殺害された女性4380人のうち、83%以上が45歳以上
の婦人であった(そのうち約半分が60歳以上)。彼女らは、従来残忍
な攻撃から安全であると考えられていたので、なけなしの家、財産を
守るために残っていて殺害されたのである。南京城内の南部の人口密
集区でも、多くの老人(特に女性)が留守を守って残留し、攻め込ん
できた日本兵に虐殺された。城内では、60歳以上の男性の28%と女性
の39%が殺されたことになるという。