瀬島氏は日本の陸士で後輩にあたる朴大統領と直接親交を深めていたので、朴大統領の崇拝者で
韓国陸士出身のチョンドウファンやノテウからも軍人の先輩として尊敬された」にあったのである
(元浦項製鉄会長の朴泰俊氏の証言、『沈黙のファイル』五一ページ)。
瀬島氏の韓国権力層ならびに児玉誉志夫氏や読売新聞の渡辺恒雄社長らにつながる人脈と
利権の構造には想像以上の奥行があったわけである(同書、三○一ページの証言)。
http://www.asahi-net.or.jp/~AM6K-KZHR/wgendai.htm http://members.tripod.co.jp/esashib/jyunkin03.htm 日本の戦後賠償ビジネス。瀬島氏とともに「伊藤忠商事の賠償ビジネスに深くかかわった小林勇一氏」は
瀬島氏がインドネシア賠償の仕事をとるきっかけになったのは辻正信氏(元大本営参謀・元参議院議員)からの
情報によるらしいと証言している(『沈黙のファイル』十二ページ)。
かつての賠償や現在のODAビジネスは注文さえとれれば請求先は日本政府だから商社にとってとりっぱぐれがなく、
これほど「うまみのある商売」ないのである。
口を開けば「国家への貢献」という瀬島氏は、デビ夫人を献上した東日貿易をとおして
インドネシア関連ビジネスをとるのにどうしたか。最初の取引で国家警察に日本製ジープなど八○○万ドル相当を納める
ことになった伊藤忠は「相手側賠償使節団長バスキ氏に一パーセントの手数料(ワイロ)を出せといわれて、
そそくさと社内決済をし、部下である小林氏に皇居お堀端の住友銀行からボストンバッグいっぱいに詰めた千円札を
受け取らせ、相手の待つホテル・ニュージャパンに向かわせた」(同書十三ページ)のである