>>288 筑紫哲也のコラムでよろしいですか
会わなくてよかった "拒否リストの新顔"
「ならば、なおのこと、筑紫氏の反論をとくと聞きたいところだが、本誌が取
材を申し入れたところ、『多忙』を理由に断られた」
その記事の結びにはこうあった。
依然として、”嵐の中”に私はいる。
その週刊誌の特集タイトルによれば、私は「崖っぷち人生」にあるひとりだ
という。崖っぷちかどうかは知らないが、自分がこの世で持っている時間が限
られてきたことは知覚している。ならば「なおのこと」自分の好きにそれを使
いたいと思う。その一方で、取材のために他人の時間を奪う仕事を長い間やっ
て来たのだから、逆の立場になった時はなるだけそれに応じようとは思ってき
た。が、この兼ね合いには限度がある。ある種の、週刊誌については経験上、
全くの時間の浪費だとわかっているから応じないことにしている。予め記事の
角度を決め込んでいて、たいていはこちらを批判、攻撃する意図に基づいてい
て、何を言おうとも変わらない。一応、当人の「弁明」も聞いたというアリバ
イ作りに使われるだけなのだ。それで断ると、冒頭のような常套句となる。
ただ、この雑誌の場合は当初から私の”拒否リスト”に入っていたわけでは
ない。それを発行している新聞社は、私が番組をやっているテレビ局とはかつ
てのような資本(株主)の関係は今はないが、友好関係は続いており、互いに社
外重役を出し合っている。取材を申し入れてきたのは掲載号の前号についてで
あり、そのころはバッシングの真っ最中、「多忙」を理由に、ではなく本当に
多忙だったので、先方の示した締め切りまでに時間を見付けることが不可能だ
った。代わりに、その号にはおもしろいコラムが載っていた。岩見隆夫氏の「
『週刊金曜日』は間違っていない」という時評である。私が番組の「多事争論」
で、報道と人権との境界を「永遠のジレンマ」と言ったのを随分弱気だと書いた。