曽我ひとみさんの家族に単独会見
「早くお母さんに会いたい」
「お母さんがいないので、ご飯がのどを通りません。お父さんもよく
眠れないみたいです。1日も早くお母さんを家に帰してください」
━━朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にいる曽我ひとみさんの家族が、
初めて日本のメディアのインタビューに応じた。
この声、日朝両政府にどう届くだろうか。
本誌日朝問題取材班
北朝鮮に拉致され、日本に「一時期国」している曽我ひとみさん(四三歳)の家族三人
が十一月一〇日、平壌市内の高麗ホテルで『週刊金曜日』の単独インタビューに応じた。
夫の元米軍兵士、チャールズ・ロバート・ジェンキンスさん(六二歳)と、長女の美花さ
ん(平壌外国語大学生、十九歳)、二女のブリンダさん(同大学生、十七歳)の三人。
ひとみさんからは十月十五日に平壌空港から旅立って以来、なんの連絡もないという。
二時間近くにわたるインタビューで、三人はときおり目を潤ませながら、ひとみさんに会
いたい思いをこもごも語った。
美花さんは、日本に行きたいかとの質問に「おじいちゃんや叔母さんに会ってみたいけ
ど、今は早くお母さんに帰ってきてほしい。お母さんが帰ってくれば安心して、日本にも
行けるし、おじいちゃんたちに来てもらうこともできる」と話した。ブリンダさんも、う
なずいた。
ジェンキンスさんは、最後に、「もし妻が朝鮮に戻ってきたくないのであれば、一度平
壌の飛行場にでも来てほしい。そしてそこで日本に住むのか、朝鮮で住むのか、話し合う
こともできると思います」と訴えた。
「二〇〇五年までは日本に行けない」とジェンキンスさん
午後一〇時十五分すぎ、三人は私たちが宿泊していた高麗火照るの三階にある会議室に
姿を見せた。ジェンキンスさんは灰色のスーツ姿で、茶色の髪、疲れきった表情だ。最初
にA4二枚に英語で手書きした文章を読み上げるときは、眼鏡をかけた。英語が主だが、
ときおり朝鮮語もまじる。感情が込み上げると、ハンカチで何度も顔をぬぐった。
美花さんとブリンダさんは揃いの紺のスーツに黒いストッキング。ひとみさん似の美花
さんは、スーツの下に赤いセーター。終始うつむき加減だった。丸顔にそばかすのブリン
ダさんは、黄色のセーター姿。記者の目をのぞきこむように話す。姉妹とも指を固く組む
ことが多かった。とくに大学の専攻は英語、インタビューには朝鮮語で答えた。
日本政府の「拉致問題に関する事実調査チーム」(団長、斎木昭隆・外務省アジア大洋
州参事官)が一〇月二日にまとめた報告書によると、ジェンキンスさんは南朝鮮侵略軍第
一騎兵師団八連隊一大隊C中隊の分隊長として勤務中の一九六五年一月五日に、北朝鮮に
入国している。
インタビューでジェンキンスさんは、北朝鮮入国の経緯は話したくないと言ったが、ベ
トナム戦争への派遣を拒否したことは明らかにした。
「脱走兵の時効は四〇年と聞いているので、それまでは(米政府に訴追される恐れがある)
日本にいけないが、その後(二〇〇五年)なら行ける。ただ、今現在は、北朝鮮で自由に
暮らしている。私の妻が帰ってこないなら死んだほうがましだ。私は、一九六一年に休暇
のため立川墓地や横浜に三〇日間いたことがあり、日本も日本人も好きだ。だけど今、私
の妻は日本に束縛されている。その理由がまったく理解できない」と話した。
ジェンキンスさんは、ひとみさんが日本人であることは八〇年代六月に出会ったときか
ら知っており、子どもたちも幼いころから母が日本人であることを知っていた。しかし、
朝鮮に来た経緯は三人とも知らなかったという。「日本に行く二週間前(一〇月初め)に、
妻から説明を聞いたが、袋に押し込められて運ばれたとは到底信じることができなかった」
と目を伏せた。
美花さんによると、休みの日はよく家族で散歩をしていたという。江原道(カンウォン
ド)にあるソンドウォン(松濤園)の海水浴場に泳ぎに行ったことも良い思い出。ひとみ
さんは、自分の父母や妹、学校の話など、日本の故郷の話もしてくれた。『世界にうらや
むものはない(セサンエプロムオプソラ)』という朝鮮の歌をよく歌ってくれた。たまに
日本語の歌も歌っていたが、姉妹とも日本語がわからないのでどんな歌かはわからなかっ
たという。
美花さんはお母さんの料理ではハンバーグが好物、ジェンキンスさんとブリンダさんは
カステラが美味しいと話す。しかし、帰国予定日を過ぎてもひとみさんが帰らないので食
欲がなく、朝食は抜きがちだという。美花さんは、大学にも行きたくないと声を落とした。
「冬着がないお母さんが心配」
美花さんによると、ひとみさんを見送った平壌空港で、日本政府の人が撮影したひとみ
さんや自分たちの写真を渡してくれた。そのなかには、拉致された横田めぐみさんの娘、
キム・ヘギョンさん(十五歳、中学生)と四人で写した写真もある。そのとき、キムさん
とは初対面だったのでほとんど話をしなかった。
美花さんは「空港で日本の女の人が木の人形をくれて、『私たちが責任を持って一〇日
経ったらお母さんを連れて帰ってくるからね』と言ったのに、もう一ヶ月近く経った。な
んでお母さんを帰してくれないか知りたいし、その前にとにかくお母さんに会いたい。お
母さんは、お母さんの妹と子どものときに別れたと聞いたので、会いに行って一緒に過ご
すことは理解できるし、そうするべきだと思う。お母さんは一〇日の約束だったから、コ
ートや靴などの冬着も持たずに日本へ行った。病気になっていないか本当に心配です」と、
顔を曇らせた。
インタビューを終えて三人が帰るとき、記者が「お母さんが心配するから、ちゃんと食
べるようにしてね」と声をかけると、姉妹は、はにかむようにようやく少し笑顔を見せた。
ホテルの玄関で迎えの車に乗り込むとき、ジェンキンスさんは少したどたどしい日本語で
「アリガト」「サヨナラ」と話し、握手を求めてきた。