【立ち読み】週刊金曜日不買運動【だけに白】

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57あっぷろーだー
曽我ひとみさんの家族に単独会見
「早くお母さんに会いたい」

「お母さんがいないので、ご飯がのどを通りません。お父さんもよく
 眠れないみたいです。1日も早くお母さんを家に帰してください」
━━朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にいる曽我ひとみさんの家族が、
初めて日本のメディアのインタビューに応じた。
この声、日朝両政府にどう届くだろうか。

本誌日朝問題取材班
58あっぷろーだー:02/11/15 11:08 ID:LbL1JuxZ
 北朝鮮に拉致され、日本に「一時期国」している曽我ひとみさん(四三歳)の家族三人
が十一月一〇日、平壌市内の高麗ホテルで『週刊金曜日』の単独インタビューに応じた。
夫の元米軍兵士、チャールズ・ロバート・ジェンキンスさん(六二歳)と、長女の美花さ
ん(平壌外国語大学生、十九歳)、二女のブリンダさん(同大学生、十七歳)の三人。
 ひとみさんからは十月十五日に平壌空港から旅立って以来、なんの連絡もないという。
二時間近くにわたるインタビューで、三人はときおり目を潤ませながら、ひとみさんに会
いたい思いをこもごも語った。
 美花さんは、日本に行きたいかとの質問に「おじいちゃんや叔母さんに会ってみたいけ
ど、今は早くお母さんに帰ってきてほしい。お母さんが帰ってくれば安心して、日本にも
行けるし、おじいちゃんたちに来てもらうこともできる」と話した。ブリンダさんも、う
なずいた。
 ジェンキンスさんは、最後に、「もし妻が朝鮮に戻ってきたくないのであれば、一度平
壌の飛行場にでも来てほしい。そしてそこで日本に住むのか、朝鮮で住むのか、話し合う
こともできると思います」と訴えた。
59あっぷろーだー:02/11/15 11:09 ID:LbL1JuxZ
「二〇〇五年までは日本に行けない」とジェンキンスさん

 午後一〇時十五分すぎ、三人は私たちが宿泊していた高麗火照るの三階にある会議室に
姿を見せた。ジェンキンスさんは灰色のスーツ姿で、茶色の髪、疲れきった表情だ。最初
にA4二枚に英語で手書きした文章を読み上げるときは、眼鏡をかけた。英語が主だが、
ときおり朝鮮語もまじる。感情が込み上げると、ハンカチで何度も顔をぬぐった。
 美花さんとブリンダさんは揃いの紺のスーツに黒いストッキング。ひとみさん似の美花
さんは、スーツの下に赤いセーター。終始うつむき加減だった。丸顔にそばかすのブリン
ダさんは、黄色のセーター姿。記者の目をのぞきこむように話す。姉妹とも指を固く組む
ことが多かった。とくに大学の専攻は英語、インタビューには朝鮮語で答えた。
 日本政府の「拉致問題に関する事実調査チーム」(団長、斎木昭隆・外務省アジア大洋
州参事官)が一〇月二日にまとめた報告書によると、ジェンキンスさんは南朝鮮侵略軍第
一騎兵師団八連隊一大隊C中隊の分隊長として勤務中の一九六五年一月五日に、北朝鮮に
入国している。
60あっぷろーだー:02/11/15 11:10 ID:LbL1JuxZ
 インタビューでジェンキンスさんは、北朝鮮入国の経緯は話したくないと言ったが、ベ
トナム戦争への派遣を拒否したことは明らかにした。
「脱走兵の時効は四〇年と聞いているので、それまでは(米政府に訴追される恐れがある)
日本にいけないが、その後(二〇〇五年)なら行ける。ただ、今現在は、北朝鮮で自由に
暮らしている。私の妻が帰ってこないなら死んだほうがましだ。私は、一九六一年に休暇
のため立川墓地や横浜に三〇日間いたことがあり、日本も日本人も好きだ。だけど今、私
の妻は日本に束縛されている。その理由がまったく理解できない」と話した。
 ジェンキンスさんは、ひとみさんが日本人であることは八〇年代六月に出会ったときか
ら知っており、子どもたちも幼いころから母が日本人であることを知っていた。しかし、
朝鮮に来た経緯は三人とも知らなかったという。「日本に行く二週間前(一〇月初め)に、
妻から説明を聞いたが、袋に押し込められて運ばれたとは到底信じることができなかった」
と目を伏せた。
61あっぷろーだー:02/11/15 11:11 ID:LbL1JuxZ
 美花さんによると、休みの日はよく家族で散歩をしていたという。江原道(カンウォン
ド)にあるソンドウォン(松濤園)の海水浴場に泳ぎに行ったことも良い思い出。ひとみ
さんは、自分の父母や妹、学校の話など、日本の故郷の話もしてくれた。『世界にうらや
むものはない(セサンエプロムオプソラ)』という朝鮮の歌をよく歌ってくれた。たまに
日本語の歌も歌っていたが、姉妹とも日本語がわからないのでどんな歌かはわからなかっ
たという。
 美花さんはお母さんの料理ではハンバーグが好物、ジェンキンスさんとブリンダさんは
カステラが美味しいと話す。しかし、帰国予定日を過ぎてもひとみさんが帰らないので食
欲がなく、朝食は抜きがちだという。美花さんは、大学にも行きたくないと声を落とした。
62あっぷろーだー:02/11/15 11:12 ID:LbL1JuxZ
「冬着がないお母さんが心配」

 美花さんによると、ひとみさんを見送った平壌空港で、日本政府の人が撮影したひとみ
さんや自分たちの写真を渡してくれた。そのなかには、拉致された横田めぐみさんの娘、
キム・ヘギョンさん(十五歳、中学生)と四人で写した写真もある。そのとき、キムさん
とは初対面だったのでほとんど話をしなかった。
 美花さんは「空港で日本の女の人が木の人形をくれて、『私たちが責任を持って一〇日
経ったらお母さんを連れて帰ってくるからね』と言ったのに、もう一ヶ月近く経った。な
んでお母さんを帰してくれないか知りたいし、その前にとにかくお母さんに会いたい。お
母さんは、お母さんの妹と子どものときに別れたと聞いたので、会いに行って一緒に過ご
すことは理解できるし、そうするべきだと思う。お母さんは一〇日の約束だったから、コ
ートや靴などの冬着も持たずに日本へ行った。病気になっていないか本当に心配です」と、
顔を曇らせた。
 インタビューを終えて三人が帰るとき、記者が「お母さんが心配するから、ちゃんと食
べるようにしてね」と声をかけると、姉妹は、はにかむようにようやく少し笑顔を見せた。
ホテルの玄関で迎えの車に乗り込むとき、ジェンキンスさんは少したどたどしい日本語で
「アリガト」「サヨナラ」と話し、握手を求めてきた。