【衝撃】読売 ・ 産経 北朝鮮礼賛の事実!【真実】

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733文責・名無しさん
サンケイ新聞夕刊 1971年11月20日
チュチェの国 北朝鮮:3
女の地位
男並みの革命闘士 家事から解放、進んで職に
 
 中国経由で朝鮮民主主義人民共和国にはいり、オヤッ、と思ったことがある。女性がスカートをはいている。
中国では、ズボンだった。同じ社会主義国なのだから、との勝手な先入観があった。
 十月五日から十一日まで、平壌では朝鮮民主女性同盟の第四回大会が開かれていた。
議題の中心は「女性解放」。今年二月の札幌プレ・オリンピックで活躍したスピードスケートのハン・ピルファ選手も、
主席団の一員として演壇に立っていた。
 
 文化大臣も女性
 
 「女性解放」のテーマが示すように、この国ではいたるところで働く女性の姿を見た。四百八十戸、
二千四百人の農場員をかかえた平安南道リムソク共同農場のキム・グムウク管理委員長は、
日焼けした顔と、強い握力をもつ二十九歳の母親だった。文化省の大臣は女性、職業総同盟の副委員長も。
 夜行列車の乗客係は濃紺のツメエリと帽子の、りりしいチョニョトンム(無理に漢字に直せば「処女同志」、
娘さんの意)だった。平壌のデパートの支配人はでっぷりしたアジュモニ(既婚女性の総称で「おばさん」程度の意)
力メラを向けると恥ずかしがって逃げ出す客たちを、呼び集めてくれた。その声の大きさに、この国の女性の地位を感じた。
 儒教思想から、朝鮮での男尊女卑は、日本以上にきびしかった。だが、いま共和国の女性たちは、
男と肩を並べた「革命と社会主義建設の闘士」といわれている。婦人の労働者階級化、革命化がうたわれ、
地区ごとの「母親学級」では衛生知識の普及と同時に、朝鮮女性の模範とされるカン・バンソク女史
(金日成首相の母親)の革命思想学習が行われている。
734文責・名無しさん:03/07/23 18:37 ID:FatMDtKI
子持ち婦人は優遇
 
 平壌市キョンサン洞の託児所では、昼休み、母親たちが勤め先から子どもに乳を飲ませに来ていた。
住宅を配分する場合、妻の職場に近いことが大原則だった。産前産後七十七日間の有給休暇、
三人以上の子どもをもつ婦人には、一日六時間労働で八時間分の賃金を保障する優遇制度もあった。
 平壌市千里馬通りにある婦人服専門の工場。目的は「婦人を家庭での裁縫から解放するため」だった。
同市のリョンファ第二飯工場では朝、昼、晩、約五千人分のご飯とパン、簡単なおかず、キムチを供給していた。
これも「婦人を台所から解放するため」と聞かされた。家庭の味がなくなるのでは、と質問しようと思ったが、
男のエゴです、ときめつけられそうで、口に出せなかった。
 今年から始った新六カ年計画の重要課題の一つが、婦人の家事労働からの解放。そのために、
冷蔵庫、洗たく機、電気がまをはじめ台所用品の増産が叫ばれていた。朝鮮の女性は荷物を頭に
載せて巧みに運ぶ。体位向上を妨げる、として、できるだけやめるようにとの指導がなされていた。
だが、よろず徹底的なこの国でも、この風習ばかりは、なかなかのようだった。
 女性の地位が向上したとしても、男の女性に対する意識の方は変ったか。通訳のキム・ソクチョン
さん(四二)が答えた。「妻と私は革命の同志です。夫婦げんかなどありませんよ。ただ、私が怠けていると、
革命糟神が欠けている、と同志的忠告をされるけれど。奥さんは大事にしなければいけませんよ」。
735文責・名無しさん:03/07/23 18:38 ID:FatMDtKI
 “らしさ”も失わず
 
 五人の子の母親であるキョンサン洞託児所のリ・ポムスン所長(四八)に会った時、
議論をもちかけてみた。妻が夫のかせぎに頼り、家庭で育児に専念した方が楽では
ないか――「それでも、かまわないんですよ。強制ではないんですから。ただ、婦人の
革命的自覚が高まって、進んで社会へ出てきているのです」。そして「女性が家に
こもっていると、ナマケモノになりますねえ」
 かといって、女性たちが肩をいからせているわけではない。公園で見かける若い
アベックは、女性が男の背に寄添うように歩いていた。理想の結婚相手は、とたずねて
みた元山のウエートレス嬢(二二)は、うつむいて、エプロンのはじをつまみながら
「革命精神の堅固な人。大学出の青白い人はだめ。やっぱり人民軍で鍛えられていないと……」と奥へ逃げこんだ。
 ウーマン・リブは、流行でも、風俗でもなく、社会制度そのものだった。そして、素顔の美しさがあった。
 
 八年前、日本から帰国したパク・ヨンジャさん(三三)は、祖国へ帰って一番
うれしかったことは、と夫君の顔を盗み見ながら、いたずらっぽくいった。
 「日本では、お金さえあれば、なんでも買えるでしょう。おメカケさんとか、
女まで。だから、主人の帰りがおそいと、気が気じゃなかったんです。いまは、
そんな心配、まったくありませんから」
 
736文責・名無しさん:03/07/23 18:40 ID:FatMDtKI
サンケイ新聞 1971年11月24日

仁術
医師と患者も同志 ニ十六年も伸びた平均寿命
 
 共同農場で、工場で、どこへ行っても必ず見せられたのが、
金日成首相の革命活動研究室、託児所、幼稚園、それに診療所だった。
 平壌から飛行機で約四十分、東海岸の工業都市咸興市の郊外にある
リョンソン共同農場の診療所には、内科、外科、小児科、産婦人科、
耳鼻咽喉(いんこう)科があった。レントゲン室もあり、壁には
「流行性肝臓病検診のお知らせ」が張ってあった。
 朝鮮戦争の停戦直後、一万六千個の爆撃の穴だけが残っていた、
という隆仙製鋼所には自慢の六千トンプレスとともに、工業大学、専門学校、
中学、人民学校、幼稚園、託児所、農園、そして病院が備わっていた。農場も、
工場も、都市の洞と同じように独立した自給自足の生活圏を形成、そこには
必ず医療施設があった。
 
 党と人民へ忠誠心
 
 平壌にある平安南道人民病院をたずねたとき、公園では、と見まちがえた。
それほど木が多く、静かだった。二十三の科と百五十人の医師、
ベッド数六百をもつ道の中央病院。小柄なリョム・ムソン副院長(四五)は、
共和国の保健政策の特徴を次のように語った。まず、予防医学の徹底、
次に一切の国庫負担。そして、保健部門の担当者は党と人民への忠誠心を
持ち、人間愛をもって患者につくすこと。「医は『イン』(仁)である」といった。
なつかしい言葉だった。
 どこにも「医師区域制」がしかれていた。市、郡の人民病院、工場病院、
農村診療所の医師が、一人で約六百人の住民の健康管理に責任を
もっていた。リョンソン共同農場の診療所には、生れた時からの
病歴を記入した農場員全員のカルテが備えつけられていた。だれでもが、主治医をもっていた。
 医師の不足は、中学卒業後二年間の高等医学校教育で資格のとれる
「準医」制で補っているときいた。
737文責・名無しさん:03/07/23 18:41 ID:FatMDtKI
 血漿作れず見殺し
 
 解放直後、共和国には神経外科の医師が一人もいなかったという。
朝鮮戦争中は、自力で血漿(けっしょう)をつくる技術がなく、
負傷兵をみすみす死なせた。「くやしかったです」とリョム副院長はいった。
 いま、コレラ、日本脳炎、チフスは昔の話だときいた。性病も一九五八年までに
根絶したといわれる。ハシカもほぼ退治した。結核は一九七五年までに根絶する
自信をもち、平均寿命が解放後には二十六年のびた、ともきかされた。
そして現在、死亡原因の五0%はガン。ついで心臓病、高血圧の順だった。
 治療方法は「薬物第一主義はとりません」。病気の原因を徹底的に
患者に認識させ、生活環境、習慣を変えるよう教育することから治療は始る、
ときいた。患者の生理機能増進のため、鉱泉、薬泉や治療体育も取入れ、
漢方薬も使用されていた。平壌の工業農業展覧館(物産展)には、
朝鮮ニンジンから作った丸薬や、シカの角からとった薬などもあった。
 とくに、患者と医師の関係については「革命的同志関係」と強調された。
その実例として、今年一月にあった物語をきかされた。
 ロ・ヨンブクさんというニ十ニ歳の女性の患者。左足が十センチほど短かった。
戦争中、北上してきた米軍に父親が「共産主義者」として銃殺された。処刑場で、
ロさんをおぶった母親は大声で泣いた。それを見つかり、「共産主義の芽をつむ」と
ロさんは路上にたたきつけられた。そのとき、太ももの骨が折れ、
十分な治療も受けられずに骨が折れ曲ったままくっつき、そのまま育ったというのだ。
 
738文責・名無しさん:03/07/23 18:42 ID:FatMDtKI
 競って骨を差出す
 
 治療には、折れ曲った部分を一度切断、
生きた人間の骨を継ぎ足しするよりなかった。
執刀医たちが自分の腰の骨を提供する予定でいたところ、
その話が従業員と患者に伝わり、手術直前に「自分の骨もとってくれ」と
大勢が押しかけてきた。「十分足りる」「いや是非自分のを」と押問答、
大混乱となり、手術室のガラスが割れた、とその時の写真も見せられた。
 結局三十七人の人から骨の提供をうけ、それをくだいてねり上げ、
手術は成功した、という。「資本主義国の医学技術は進んでいるかもしれないが、
一人の息者の治療に大衆がこのように参加する例はわが国だけでしょう」と、
リョム副院長がいった。副院長の腰にも、骨をとった傷跡があった。「痛かったですがね」
 
 足を十センチものばすのだから、心臓移植もやるのか、ときいてみた。
「あれは、人の死を待たなければ、できないんでしょう。そんなことは・・・・・・」。
そして日本では医師会が二0%以上の医療費引上げを要求しているという話に、目をまるくしてこういった。
 「資本主義の医者は、公認されたドロボウですね」(宮田前特派員)