北朝鮮信奉者であることを必死で隠すダメ朝日信者

このエントリーをはてなブックマークに追加
263文責・名無しさん
月刊「正論」
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/seiron.html

二月号で朝日新聞元常務の青山昌史氏(現在ジャーナリストとして活躍中)
が、片岡正巳氏(評論家)との対談で痛烈に古巣の戦後における言論報道を
批判しています。題して「北朝鮮・中国に媚びた朝日の罪深き幹部たち」で、
かつては編集幹部だった青山氏と朝日ウオッチャーの第一人者であるの片岡氏
の突っ込んだ分析は単に一新聞社の領域を超えて社論の形成の仕組み、メディ
アのあり方などについていくつかの問題を提起しています。とくにニュース
メディアに関心のある人たちにはぜひとも読んでいただきたい対談です。


 さて青山氏は元常務というけれど、朝日ではどういう立場だったのか、
関心のある方々も多いと思います。それによって発言の重みもちがってき
ますので、簡単に略歴を紹介しておきます。

 青山氏は昭和二十七年(一九五二年)、朝日に入社し、支局勤務のあと、
政治部記者として活躍しました。三木内閣のときは政治部長をつとめていま
す。その後、大阪本社編集局次長、西部本社編集局長を歴任しました。記者
としては文句なしのエリートコースを歩んできたといえましょう。そして取
締役となり、広報を担当しました。そのときに朝日を取材していた片岡氏と
あいまみえたわけです。最終ポストは東京本社代表常務取締役です。青山氏
は、「ヒラ社員のころはともかく、幹部だった一定の期間については私も直
接間接に責任があると思っています。今日はその反省もこめてお話ししたい
と思っています」と冒頭で述べています。


264文責・名無しさん:03/01/03 23:44 ID:7Uri3h9N
自らの反省を踏まえながら青山氏は率直に、そしてつとめて客観的に
朝日の論調に疑念を表明しています。これだけの経歴をもつ人の発言
ですから、やはり部外者にはない迫力、説得力、真実性があります。
ごく一部ではありますが、お二人のやりとりを紹介しましょう。

 青山 テレビで家族会の増元照明さんが、「朝日は非常に冷たかっ
た」と述べていました。増元さんの発言にOBの一人として本当に慄
然としました。

 片岡 朝日が拉致被害者や家族に冷淡で、北朝鮮に甘かったのは
事実ですからね。

 青山 朝日の姿勢は、さかのぼれば戦後の朝日の社論の基調をつ
くった笠信太郎論説主幹、そして広岡知男社長らに行き着く。

 広岡さんは社の最大株主の村山家との抗争期間を通じ、十数年に
わたって社長、会長をつとめ、朝日の言論報道をリードします。
その間、とくに中国に入れ込むわけです。その後も編集担当の秦正
流さんは親ソ派ですから親共産主義、親社会主義の方針は変わりま
せんでした。
265文責・名無しさん:03/01/03 23:45 ID:7Uri3h9N
 上が反米・親中ソ北ですから、下は上の姿勢を見てものを書き、しゃべる
わけですね。へつらいというか、宮仕えの身としてそうなってしまう。北朝
鮮について言えば、編集幹部が訪朝する。ミッションを仕立てて北朝鮮が設
営したコースを見て回る。それで立派だと誉め称える。

 片岡 日本のプレスで最初に金日成に会ったのは朝日です。

 青山 編集局長の後藤基夫さんが北朝鮮へ行きました。

 片岡 あのときは金日成が朝鮮総連を通じて朝日へ声をかけてくるんです。
昭和四十六年(一九七一年)九月に東京本社編集局長の後藤氏が北朝鮮へ
すっ飛んで行く。それで九月二十七日付で一面から社会面まで使って金日成
会見記を載せる。北朝鮮はすばらしいと金日成ヨイショをやる。

 そして昭和五十五年(一九八〇年)にも再び後藤氏が訪朝団長になって行
く。このときは後藤氏は常務だったと思いますが、それでまた北朝鮮、金日
成ヨイショをやる。そのときに外報部の猪狩章次長が歯の浮くような、読む
に耐えないチョウチン記事、ルポルタージュを書きます。

266文責・名無しさん:03/01/03 23:47 ID:7Uri3h9N
 青山 亡くなった松下宗之君(前社長)も編集局長のときに金日成に
会っています。 片岡 平成四年(一九九二年)、金日成の八十歳の
誕生日の祝いに訪朝し、これまた歯の浮くような金日成賛美を書いた
(笑い)。

 青山 松下君は政治部の後輩ですが、残念ながら、「『男はつらい
よ』はいいです」といった映画談義をして一面をつぶした(笑い)。

 核についても、すでに問題となっていた拉致についても何も聞いて
いない。そこが一番問題なんです。

 片岡 拉致のラの字も、問題になっていた日本人妻のニの字も聞か
ない。金日成のいうことをひたすら聞いて紙面で大々的に持ち上げる。
一番最初に声がかかったのは、朝日が一番利用できると北朝鮮が白羽
の矢を立てたからでしょう。

 青山 向こうは友好人士を選んで招待するんですから。

 片岡 朝日は相手の期待に十分応える紙面づくりをした。


 当時、朝日の社内には北朝鮮べったりの報道姿勢に危惧の念をいだ
いた人たちもいたと思います。しかしながら、青山氏も述べているよ
うに、宮仕えの身としてはなかなか表立ってはいいにくい空気があっ
たと思います。言論の府である朝日もまたある種の空気の支配下に
あったといえましょう。

267文責・名無しさん:03/01/03 23:47 ID:7Uri3h9N
 なぜ朝日の編集幹部は北朝鮮詣でを繰り返したのでしょうか。好意
的に解釈すれば、新聞記者としての使命感だったといえます。昔も今
も北朝鮮のトップに会見するのは容易ではありません。現に金正日総
書記はまだどこのメディアとも会見に応じていません。それだけにた
とえ“ならず者国家”であれ、その最高責任者に対する独占会見は
ジャーナリストにとって大変な魅力があります。少なくともジャーナ
リストの志があるなら、「あんな人物には会いたくもない」といった
言い草はしないでしょう。

 また朝日首脳には他社に先駆けて平壌支局を開設したいという大手
メディアとしての戦略もあったかもしれません。これは常識はずれで
もなんでもありません。こういう観点を考慮すれば、頭ごなしに朝日
幹部の北朝鮮詣でを批判するのは短絡的にすぎると思います。 問題
は取材と報道の姿勢にあることはいうまでもありません。青山氏と片
岡氏の批判はそこにあります。

 自社の新聞への掲載を前提にインタビューを望む以上、聞き手は
あくまでも記者魂をしっかりと胸にいだいて真剣勝負で金日成主席と
対峙すべきでした。おべんちゃらならいくらでもいえるが、海千山千
の元ゲリラ大親分を相手に丁々発止の突っ込みなどとても自信がない、
というのなら最初からインタビューはあきらめて表敬訪問にとどめる。
これが良識ある新聞人の態度ではないでしょうか。