情報とメディアリテラシーについて考える

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628文責・名無しさん
新聞の目的のひとつが事実を伝えることだと期待すると痛い目にあう。
新聞に限らずほとんどすべての商売において最大の目的は永続的に利益を得ることだ。
これは、極めて正当な動機だ。利益を得るための手段は時代とともに変化するが、
例えば、価値ある情報を集め加工しできる限り早く広める。
例えば、情報の価値を高めるために情報を独占する。
例えば、独占した情報を、自分自身の利益にとって最も都合のよいように操作する。
しかし、読者のメディアリテラシーが向上して、マッチポンプは見抜かれれば、読者から見放され、
利益が減る危険もある。
一般的に考えてみて、究極に新聞が利益を追求すればするほど、読者の利益が何であるかを考えなくて
はならないのは、ひとつの安心材料かもしれない。
しかし、日本の新聞屋の末端に至るまで自らの利益の源がどこにあるのかを、本当に認識しているのだろうか?

幸不幸関係なく人は「いごごちのよい事実(条理)」の中で暮らしたいという欲求があると思う。
今までは、新聞の情報の中からしか、自分にとって「いごごちのよい事実」を作ることができなかった。
そして、その中から「いごこちのよい事実」を作り出すことができなければ、新たな新聞をさがす他なかった。
しかし、今、インターネットの膨大な情報の中から検索エンジンを使い、都合のよい情報のみを収集し、
自分にとってさらに「いごこちのよい事実」を作り上げることが可能になった。
個人によっては「いごこちのよい事実」が、真実でなくてもかまわないかもしれない。
2ちゃんではこの点において最先端だと思う。そして、2ちゃん以外でも、徐々にこの傾向は広がるだろう。

自分で「いごごちのよい事実」を作るのが面倒な人もいるかもしれない。
そのような人に「いごこちのよい事実」を直接与えるのも、新聞がほそぼそと生き残るための
ひとつの方法だろう。真実より「いごこちのよい事実」が読者の利益になるときかな。