情報とメディアリテラシーについて考える

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359ちょん太
昔、日本に来ていた南蛮人で 武士や村の名主にビードロの玉を金剛石と
偽って高く売りつける商人がおりました。当時はビードロも高価なものでしたが、
一玉 10両もする法外な値段でした。ある時、とある村の鍛冶職人が
「南蛮人が売りつけているのは金剛石ではなく、ビードロだ。」
と 言いました。そうすると、そのビードロの玉を買った村の名主や武士は
「でたらめなことを ぬかすな。お前みたいな貧乏鍛冶屋に金剛石の珠が買えないからといって
僻むのはよせ。」
と言い返しました。
金剛石の珠を買わされた村の名主や武士は 南蛮人が売りつけたビードロの珠を
金剛石の珠だと信じて疑わなかったのです。
つまり、これは 金剛石の珠を買わされた村の名主や武士は詐欺の被害者なのですが、
被害意識がないわけです。

これと似たことをマスコミもやっています。すなわち、マスコミは”「国民の知る権利」
に応えている”と 国民に吹聴し、実際は自ら「国民の知る権利」を侵害しながらも、
当の視聴者や読者は 自分たちが「国民の知る権利」を侵害されている被害者だということに
気付かないでいるのです。