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文責・名無しさん:
さらに統治の悪辣さも後のGHQなみだった。
敬虔な仏教徒で、しかも単一民族国家という扱いにくい国を英国は好きに作り替えた。
華僑を入れ、イスラム系インド人を入れ、さらにモン、カチンなど周辺山岳民族を山から下ろしてキリスト教に改宗させ、
ビルマをわずかの間に多民族、多宗教国に変えたのだ。
こうすればインドで実験済みの分割統治が可能となる。
民族、宗教の対立をあおって争わせる、あれである。
だから戦後、主権を取り戻したビルマ人が直面したのは経済、金融を握る華僑、インド人、
そして軍隊を掌握する山岳民族との対決だった。
それでネ・ウィンは鎖国令を出した。
貿易を止め、自給自足経済になって、商売のうまみがなくなった華僑がまず出て行った。
次がペイオフ令だ。一定額以上の銀行預金は没収し、ともに貧しく生きようというわけだが、高利貸のインド人にはコタえた。
たんす預金にすると今度は紙幣改変をやる。旧紙幣は廃棄だからどうしても交換する。
また一定額で切られる。インド人も出て行った。
最後に残った山岳民族とは長い戦いを経て、同じ仲間だから五族共和でいきましょうとなった。
その証に国名をビルマ族の国ビルマからミャンマーに改めている。
ベトナムは経済実権を握る華僑の財産を没収した。
それでボートピープルが生まれたが、それに比べれば実に忍耐強い平和的解決だと思う。
(週刊新潮 5/23日号 変見自在より)