日付も変わったし、よーしパパ全文掲載しちゃうぞ。
3月4日号【変見自在】拡大版『だから「朝日新聞(ちょうにちしんぶん)」とヤユされる
「北朝鮮」寄り偏向報道』
もしかしたら拉致被害者の家族に春が、と期待を抱かせ、やっぱりだめだった先日の
日朝政府間協議。
あの折に小泉首相が「田中(均)に任せろ」風な発言をしたと朝日新聞が嬉しそうに
書いていた。
田中均といえば日本より北朝鮮が大事という落第外務官僚だ。そんなのに首相が全幅
の信を措いていたとは俄かには信じがたい。
案の定、安倍幹事長が「あれは朝日の捏造」と発言し、朝日は朝日で捏造とは何だ、
発言を撤回しろと眦を決して突っかかる。
朝日の怒りはこの騒ぎを伝えた週刊新潮にも向けられ、同誌の広告掲載を拒否し、「
名誉と信用を傷つけた」から謝罪と訂正を載せろと騒ぎ立てる。
そんな朝日のぶち切れぶりを見ていて、ふと二十年前に巻き込まれた似たような騒ぎ
を思い出した。
発端は「これが毒ガス作戦」という一葉の写真を掲載した朝日の記事からだった。畑の
向こうにもくもくと何条もの煙が立ち上る絵柄で、残虐日本軍の動かぬ証拠をついに見
つけた風の気負った記事に自虐史観の大物、藤原彰・一橋大教授の「毒ガスに間違いな
い」のお墨付き風談話が添えられていた。
しかし常識があれば毒ガスが空に立ち上っていっては意味がないことぐらいは分かる
ものだろう。
それを当時は紅顔の石川水穂産経新聞論説委員が調べ上げて「毒ガスでなく煙幕。朝
日の記事は嘘っぱち」と紙面でやった。
そうしたら朝日の責任者というのが乗り込んできて担当デスクだった筆者に「天下の
朝日に喧嘩を売るとはいい度胸だ。謝罪して訂正記事を載せないと新聞社ごと叩き潰して
やる」とまくし立てていった。
しかし写真を撮ったカメラマンのメモも出てきて朝日の完敗。ただ朝日の往生際は悪
く、訂正記事では毒ガスでなかったとは書かずに「地名が間違っていた」と逃げている。
今回のケースと言葉は同じだ。ただ二十年前のときとはニュアンスが微妙に違ってい
るようだ。
煙幕を毒ガスに仕立てた報道は朝日新聞の社是、自虐史観に立っている。もとはマッ
カーサーが「日本人は生来残虐だ、とどんな嘘を使ってもいいから国民に教え込め」と
各新聞社に命じたものだ。
朝日はそれを忠実に守り戦後民主主義のリーダーを任じてきた。藤原彰や後藤乾一、
吉田康彦など自虐史観教授も抱き込んで、もっともらしい捏造を続けた。
そんなときに産経が利いた風な非難をした。だからあのときは自信満々、戦後民主主
義の王者の風格で脅しにかかったものだ。
では今度の田中均騒動はどうだったか。これももとをたどればマッカーサー憲法がか
らむ。前文で日本は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」それで武力を放棄し
ている。
世界の国々はすべて善意だから日本は丸腰でいいということだ。
しかしそういう国々の中にオルブライト元国務長官がRogue State(ならず者国家)
と名指しした北朝鮮もいる。その危険な素性が分かれば、日本は丸腰憲法などすぐに捨
て去っただろう。
で、朝日はマッカーサー憲法護持の立場から北をいい国だと庇ってきた。やれ主体思
想はいい、やれ平壌にはゴミもない、この世の楽園とばかりに嘘を並べ、それに騙され
て九万在日が殺されに帰っている。
それでも悪しき素性はばれるものだ。金賢姫の騒ぎでは拉致された日本人、李恩恵が
浮上してきた。
北朝鮮への疑惑が国民の中に膨らむ。そういう不信感の沈静化にも朝日は随分と腐心
している。
二年前の日朝赤十字会談の記事にはそういう朝日の努力が滲み出ている。
話が拉致日本人に移ると「北朝鮮は突っぱねた。しかし十年前の国交正常化交渉では
日本側が李恩恵の名前を持ち出した途端、席を立ってそのまま会談が決裂したような、
敵対的な雰囲気はなかった」(02年8月20日付)。
北朝鮮が席を蹴って出て行かなかっただけ喜んでいる。この卑屈さが日本の生きる道
だと朝日は説得に努めた。その路線を牽引する田中均は当然、立派な外交官というわけ
だ。
金正日が頭をかきながら日本人拉致を認めた「9・17」はこの会談の一カ月後にな
るが、一番驚いたのは北朝鮮を庇い続けた朝日だったろう。
朝日はその翌日「日本の植民地支配」の前には北の拉致など可愛いものだという、悲
しくなるような歴史の捏造をしている。
しかし9・17はそういう即席の嘘では収まり切らなかった。朝日はかねがね国際間
のトラブルは話し合いと国際協調でと言い続けてきた。しかし北は話し合いに乗らない。
では国際協調でと国連人権委やAPECにも持ち込んだ。
しかしそこには朝日の言う友好関係もODA効果も何もなかった。米国以外どの国も
知らんふりだった。
朝日の言葉はどれもこれも嘘だったことに国民もやっと気付いた。先の総選挙で朝日
とともに北朝鮮をいい国だと褒めちぎってきた社民党は見放され、ほぼ消滅してしまっ
た。
小泉政権は朝日新聞の連日の攻撃にも拘らずマッカーサー憲法が禁じた海外派兵もさ
っさと実現した。
拉致された国民すら取り返せない国から、「必要なら行動する国」に脱皮した、という
言い方もできる。
朝日にとって不幸なのは岩波の「世界」も落ち目なら北朝鮮文化人の吉田康彦も田英夫
も逃げ出したことで、いまや朝日が一人で戦後民主主義を支える始末だ。
おかげで北朝鮮の不始末も朝日が一人で釈明し弁護する日々で、朝日の記者ですら社名
が「あさひ」だったか「ちょうにち」だったか自信がなくなりつつある。
そんな折に田中均が再登用された。希望的観測も交じってちょっと力が入ったらすぐ捏
造呼ばわりだ。
二十年前の自信満々と違って、今回は自棄っぱちでぶち切れたというのが本当のところ
ではないのか。